かいき

zushonos2007-11-14


12年前の12月2日に、祖父が死んだ。その数年前までは毎日結構な距離の散歩をたしなむ(なんだか妙な組み合わせですね)矍鑠としたじじいだったが、晩年は怪しい言動が目立つようになり、体調を崩し、入院していた。じじいが死んだ年の春から私と姉はそれぞれ一人暮らしをするようになっていて、こじつけるならばそれを見届けていったのかもしれない。

ともかく今年は13回忌だというので、先日、母から法事に出るよう通達が来た。近年は年末年始のみ帰省していたが、今年はそれに加え春にも故郷で追憶の旅を楽しんだので、3回目の帰省になる。たまったマイレージで航空券を予約しようとしたが、マイレージでは法事の時間帯を外す便しか取れないということだったのでひとまず保留。

死別した人の話が出たあとで、生き別れた人の話をひとつ。
水面下で勤務していた時期に業務を全うして退役した、とある人物の復帰について仄聞した。
渦中の人物にまつわる話は、ここでも何度か書いてきたのだが、周囲からは一定の距離を持ちつつも大変に親しまれていた人物であった。この人物の逸話は数知れないが、今日隣席の人とした思い出話の中で、電話術にまつわる話が出てきた。
弊社の業務では、商品を仕上げるため、各方面に一定の「取材」と称した電話をかけることがある。電話の相手は初対面であることが多く、一般には硬軟織り交ぜた電話術が要求されることが多いのだが、この人物の電話術は極めて硬派で、また世代的な背景があってか、大音声で会話がなされることが多く、聞き耳を立てるまでもなく電話の様子が耳に入ってくることが多かった。その有様はもはや怪奇とさえ呼べるかもしれない。
しかしながら、この人物によるこの手法は、結果的におおむね良い結果に結びついており、最初から最後までわたくしごときには真似できない電話術である。思い出話をした人とは、この電話術について「慇懃無礼の前半が欠落している」と表すことで落ち着いた。かくいう我が身を省みれば、慇懃無礼の後半そのものではある。