キミの始まりの日へ帰る日に

zushonos2007-10-11


散髪話はまた一回休み。
積極的な人付き合いを避けてきたわたくしであるが、それでも親しくさせてもらって、多大な影響を受けた人もあまたである。親しくなくても、勝手に憧れた人たちもいる。
30年以上生きてくると、そのような人たちとの関係に変化が生じる場面に出会うことも多くなってきた。
一つの極地は死別である。親戚や友人・知人、近所の人、憧れの人、著名な人など、気になる人で亡くなった人は多い。近しい人の場合は悲しみも大きく、直接的な影響も大きい。おそらく生存しているのだが、失踪してしまった例も、把握している限りで3件ある。こうなると、追いかけたくても届かなくなってしまう。
なんとなく疎遠になった人もいる。なんとなくであるから、大した影響もなく、思い出すこともほとんどないのかもしれない。
前述のとおり人付き合いには総じて消極的だったので、希少な例ではあるが、主義主張の変化で、関係が決裂してしまったこともなくはない。
近年多いのは、所属組織を基盤とする関係だったのが、彼我の一方が組織から離れることによって疎遠になってしまう例である。級友が転校したり、自身が職場を変更したり、同僚が離職したりといったことがきっかけになる。
現在の職場に雇用されてから、もう10年近い。理由はさまざまであるが、比較的親しくしていただいた方々が離職するのを目の当たりにして、歯がゆく思うことも多かった。関係が断絶することなく、連絡を取り合う人もいるにはいるが、従前どおりというわけにはいかない。
いずれにせよ、立場が変わる際には、とても大きな力が必要で、なにかと大変だと思う。どちらかといえば消極的な理由でそれが行われた場合は尚更ではなかろうか。しかし、先日、ある文章を読んで、このようなできごとは、意図せず曲げられてしまった立場を改め、当初の志に戻れる良い機会にもなりうるのだと思った。
ちきしょう、名文(というのは自分で決めることではありませんね)書くつもりで3日くらい前からタイトル考えていたのに結局しょっぱいというかよくわからん内容になっちまった。