B-JK

zushonos2007-03-05


先週、XT660の車検を通すのと同時に、ETC車載機をつけた。全てバイク屋にお任せしたのだが、これと家賃で給料がちょうど無くなった。ねえねえ、姉さん、お金ねえの。
このことを伝えた人に「バイクにETCとはナウい」と言われたので「トレンディだろうと思って」と回答した。ところで日経トレンディという雑誌はきっとナウいものを紹介しているのだろうがトレンディということばがナウくないことを含んで意地で続けているのだろうか。
さっそくバイクでETCを体感するべく、近場の首都高速のETCレーンに進入したところ、基本的にバーが上がりっぱなしのレーンだったらしく、外見上は何の変化も無い。車載機から音が出るわけでもなく(たぶんスピーカなど着いていないので音出ないし出ても聞こえない)、感覚的には料金所突破である。期待したバーが上がるというカタルシスは得られずじまいだが、料金所突破感が得られた。首都高速は入り口で課金されて出口はただ出るだけなので、このときは正常に認識されたのかどうかすらわからなかった。
土曜日は、久しぶりに、バイクでツーリングに出かけた。ETCの動作確認も目的の一つである。特に目的地も決めていなかったが、自宅を出たのが午前10時過ぎだったので、せいぜい片道200km内、それに寒いのは嫌なので房総か伊豆方面だ。youtubeもとい腰痛部も気になるので、温泉に入るべく伊豆方面に決めた。
せっかくのETCなので、割引を狙いたい。昼間は割引がないので、行きは下道で、帰りは高速を利用することにした。自宅から国道246号に出ると、覚悟していたほどは混んでいない。また、暖かい。適宜二輪独自の運転法を駆使してどんどん前進。全行程200km程度なら、おそらく四輪でいつもどおりの運転をしても30分も違わないと思われる混雑具合だったが、ともかくストレスレスです。やっぱり二輪は良いなあ。
松田の国道と東名が並走するあたりで、向かって右手に現れる、山肌を九十九折れで上る細い道が気になっていたのだが、今回その道に入ってみた。246号では右折レーンもある交差点で、すぐに東名をくぐると急坂を登る。古民家風の資料館のようなレストランのようなものがあったりしながら山肌の道へと入っていく。下から見えていた山肌の道は狭く急であったが、南側の景色が開けていてすばらしい。たぶん酒匂川の流れと東名を行きかう車、松田の町並みが広がる。曇天で霞んでいたが、きれいに晴れると一層素敵な眺めだろう。どんどん登るとみかん畑やら梅林やらがあり、野鳥がたくさん。ほとんど行き止まりのところまで行くと見事な梅林があり、そこではおっちゃんたちが何か作業をしていたが、このほかにはもう一台軽トラックを見ただけで人影もなし。ここは良い。辛くなったらまた来ることにしよう。
その後も国道に戻らず、高速の北側の側道を走ってみた。山の中を通した高速の側道で、それほど長くない距離でトンネルや橋で高速をくぐったりまたいだりできるようになっているので、アップダウンが激しい。時折工場や民家が数軒まとまって建っている。高速道路のバス停入り口があったので扉を開けて一瞬入ってみたりした。
そのすぐ近くにあった、おそらく歩道の、高速道路をくぐるトンネルがたまらなく恐ろしかった。北側の入り口は、少し階段を下ったところにある直径1.8m程度の円形。真っ暗な穴を覗き込むと、下り坂になっていて、反対側の出口の明かりがかすかに見える。片側2車線を横断すると考えると、延長は20-30mだろうか。入り口近くには蛍光灯があって、これは一定間隔で設置されているようだが、このときが昼間だったせいか、あるいは基本的にそうなのだろうか、一切点灯されていない。側道を通る交通もほとんどなく、このトンネルの存在意義自体がよくわからない。
勇気というより好奇心を振り絞って、中に入ってみた。ヘルメットとブーツで底上げ・天上げされた私の延長はトンネルの直径と同じくらいあって、ゆっくり背を伸ばすと支えてしまう。といってヘルメットを脱ぐ気にはなれず、心持ち中腰でやや駆け足でトンネルを下る。外の明かりのもとで覗き込むと漆黒の闇だったトンネル内部はしかし、進むにつれて目が慣れてきて、ぼんやりと様子がわかる。やはり非点灯の蛍光灯は一定間隔で設置されているらしい。トンネル中ほどで、左方向に光源があるのもわかってきた。また、その光源の先は、トンネルは円形ではなく方形になって反対側の出口まで続いているようだ。
トンネル中ほどの光源に近づくと、それは照明ではなく、途中に設置された出口から入ってくる外の光だとわかった。この出口は向かって左、トンネルに平行して作られた階段になっていて、その壁には、よく見かけるようなスプレーを用いた落書きがしてあったが、そこにあったよろしくは典型的なものに比べると若干簡略化されていて「夜路死苦」であった。高速道「路」にちなんでいるのだとしたらナイス頓知。ともかくその階段の出口には金網のフェンスが施してあり、外に出られないようになっていた。
しかしトンネルの半ばの階段で出るのはどこなのだろう。中央分離帯にでも出てしまうのか。そのあたりで好奇心だけでは前進できなくなり、全力疾走で引き返した。
その後もしばらく側道を行くと、照明非点灯の高速道路をくぐる車道トンネルがあった。こちらはすぐに左にカーブしていて、反対側の出口がまったく見えない。ただしバイクのヘッドライトがあるので、好奇心で進んでみた。左カーブはゆるやかに右カーブに変わり、そのあとは直線で、出口の明かりが見える。出口側には民家もあり、また、引き返そうとすると反対側から車がやってきた。車道の方はそれなりに交通量があるようだ。
ところでトンネルといえばこれでも食らえとか瞬き移動とかいって通じる人もいるがそれはさておき紅鯨団を連想する人も中にはいるだろう。業務上関係のある某氏が、そのようなパーティーに出席した折、業務に関係のある極めて特殊な知識を得意げに披露していたのを見た同僚の某氏が驚いていたという話を伝聞した。これは私にとっては、某社の営業担当者が、競合他社の販売用什器を神田川に投げ捨てたというのと同格に位置づけられる、某社の伝説である。
で、小学校のときの同級生の3人のクボのうち、五木ひろし似とうたわれた一人は、授業中指名されてのいわゆる発表時において、息継ぎの代わりに「なんか、」と言う男だったがそれはさておき「ねるとん紅鮭団(べにじゃけだん)」と発言していたのが記憶に残っている。当時から、特に夜中はテレビ番組をそれほどみていなかった私であるが、テレビ欄を眺めていてそれが間違いだと悟ったものの、みていないので強く否定できず悔しい思いをしたのを思い出した。間違っていると嫌だと思って調べたwikipediaによれば、特番で「紅鮭団」という名前も使われたそうだが、これはそのクボと同級生だった時期よりも後の話なので、やはりクボの勘違いだろう。
ちなみに私はそのころ忠臣蔵を「ただきょぞう」、憤るを「いきおどる」と読み、いずれも姉の前で初披露し、否定され、世間の笑いものになるのをすんでのところで食い止めてもらったという過去がある。このほかにも勘違いして読んでいたところ、他人の会話などに出てきたことばが文脈から察するに自分がこれだと思っていたものと違っており、その場は適当にやり過ごして後に辞書に当たって間違いに気づき、手に汗かいたことは数知れない。
しばらく側道を走ったあと県道に出て、山北駅前の商店街を抜ける。いわば枯れた趣のあるなかなか素敵なところで、高知県の西部の町のとある薬局での、生涯十傑に入る恐怖体験をなんとなく思い出した町並みであった。
そのまま246号線を交差して足柄峠に向かった。久しぶりの狭いワインディングで、そういえば高速を走るときにリアサスを硬くしたままだったなあと思い出す。峠から金時山に向かう道を少し走ったりして、しかし林道がことごとくゲートで封鎖されていたので、おとなしく御殿場に下りた。
腹が減ってきたので、沼津で魚を食うことにした。県道を延々南下していたら、沼津の漁港に着いたのは15時くらいになって、食堂は昼休みというところが多かったが、とある店で30分ほど並ばされたもののなんとか昼飯。待っている間に腰痛が悪化。食っている間に和らいだが、箱根で温泉に入って帰ることにした。
箱根は先日SX4で真夜中に走ったが、下りはともかく登りはストレスフルだった。ところでバリアフリーといいますが、バリアfreeなのかバリアfullyなのかわかりませんね。XTだと上り下りともに楽しい。リアサスやわらかくしようと再認識。下りは箱根旧街道を通った。日帰り温泉の天山に行こうと思ったが、駐車場に車がたくさんだったので回避。一旦下って国道1号を少し登り、塔之沢の上湯温泉浴場に入った。こちらは独占状態だった。腰痛も和らぎ、このあと帰宅するまでまったく気にならなかった。
で、小田原厚木道路から東名に入って帰宅。小田原厚木道路はETC割引がないことを認識していたが、厚木からの東名高速は通勤割引が適用されると思い込んでいたところ、出口で通常料金が表示されて驚く。大都市近郊範囲で通勤割引が適応されないのだと悟ってがっかり。が、小田原厚木道路の後半で、感じの悪い抜き方をしていったバイクに一生懸命ついて行ったあと、先方はETC未装着だったらしく、料金所でもたもたしている間にこちらはすいすい行くという一幕があったので、まあよかった。
そのバイクとのからみで少しがんばってしまったのも悪影響を及ぼしたのであろう、燃費は20km/Lそこそこで、ツーリングにしてはよろしくなかった。
しかし陽気はすばらしく、寒くもなく暑くもない、一年で一番快適な時期になってきたと感じた。