超ロング

zushonos2007-01-19


最近の水面下勤務時間は長いが例年のそれと比べるとまだまだましだ。周囲の配慮にも助けられ、ロングラン興行は一応閉幕したようではある。しかし、興行開始前の状態に戻ってしまったわけではなく、セカンドステージに突入したのは間違いなさそうだ。この空間において無駄な遠慮がそぎ落とされた感がある。ここまで来るのに6年かかったということになる。短いとも思わないが、そほれど長いというわけでもないだろう。ともかくよかったよかった。
2つ隣の市に住む、親戚のゆきっさくんは、私の3歳年上、姉と同い年であった。小学生のころ、私の一家は、ゆきっさくんの一家と一緒に、毎週末のように、県内および近県の山に登りに行っていた。ゆきっさくんには妹がいて、この人は私の一歳年上だった。確かあさりちゃんのコミックスを集めていたと思う。ゆきっさくんの父は私の父と従兄弟で同年代、ゆきっさくんの母は九州出身のよく喋る人で社交的、私の母もまあ社交的なほうで、子どもも同年代で順番は違うが男女一人ずつということで、一緒に出かけるのにお互い気を使わないでよかったのだろう。
山登りも楽しかったが、ゆきっさくんの家に出かけて、彼のホビー(と片仮名で書いたほうが適切であろう、主に道具を使った遊びである)に付き合うのがなかなか魅力的だった。彼は野球もサッカーも大好き(後者は20年以上前に好きだと主張する少年はいまほど多くなかったと思うし私の周囲にはほとんどいなかったので、高尚な趣味に思えた)で、野球版やらカードゲームやら、ゲームウォッチやらファミコンソフトやら、いろいろ買い集めていた。
その中でも特にファミコンの「サッカー」は何度も一緒に遊んだが、当時例の「ウル技」あたりで紹介された「キーパーから味方選手へのパスがそのまま相手ゴールに」という技があった。たしか味方選手(ファミコンの「サッカー」はフィールドプレイヤーは5人くらいしかいなかった)を相手ゴール方向にひたすら走り続けさせ、キーパーが相手のシュートを止めた直後にパスを出すというもので、スペランカー無敵技を成功させられなかった私には、この技も成功させることができなかった。しかし、ゆきっさくんはこれを成功させていた記憶がある。相当なロングシュートだが、しかしウル技名はロングということばを使わずに「スーパーシュート」だったような気がする。気がするだけで調べていないが。
そんなゆきっさくんは、今では痩せてはいるが身長190cm近い大男だ。小学生のころから背が高かったが、小学校高学年のころ、急激に背が伸びた私の姉(160cmくらいあった)に身長を抜かれて、調子に乗った姉がゆきっさくんと並んで彼の頭上に手をかざし「あらかわいい」といった表現を繰り返してからかい、ゆきっさくんが怒りをあらわにしていた場面をおぼえている。数年後、ゆきっさくんもどんどん身長が伸びてきて、160cmそこそこで止まった姉を凌駕したとき、同じような表現を姉に対して実行したところ、姉は「だからどうした」といった切返しをし、ゆきっさくんが肩透かしをくらっていたのもおぼえている。そういえばあの頃姉はこの手の冷たい切返しが大得意だったなあ。身長は高い低いであって長い短いとはいわないか。
いまでは関西で仕事をしているゆきっさくんと東京で仕事をしている私が会うことは滅多にないが、私が大学生のころ、就職が決まったゆきっさくんが東京に遊びに来て、東京ドームにオリックス日本ハム戦を見に行ったことがあったのを思い出した。
その頃の私といえば、10年くらいファンだった人に相手にされなかった失意の渦中にある数年目で、バイクに乗ってひたすら移動(「高速道路を使わずに一日1000km」といったつまらない目標があった)することにのみ喜びを見出し、ともかく人並みの人付き合いができない中で、人間との対話といえば、こちらは静岡でのキャンパスライフをエンジョイしまくっていた、高校のときの同級生電車くん(現在の電車さん)にくそ長電話をかけることか、学校のPCを使って、小学校からの同級生で大阪の大学に通うことうしんいちくんとメールのやりとりすることくらいだった。
ことうしんいちくんとのメールのやりとりは今思い返してもなかなか楽しいもので、主題は主に昔話だが、相手の一文に対して必ず一文以上の返事を返すこと、引用は前回の一文までとすることなど、なんとなく決まりがあった。キン肉マンの超人の名前を分解して文章中に織り込んでしりとりするといった遊びもあり、やりとりはどんどん長くなっていった。頓知の利いた回答をしないと負けたような気分になるので必死に考えなくてはならないこともあり、返信するのに毎日一時間程度を要するようになった。私は小学生のころからPCのキーボードに触っていたが、このメールのやり取りで、相当タイピングが鍛えられたものだ。
おそらく、内容以上に異常に長い文章を書くようになったのもこのころだし、その技術をそのまま会話に応用したため、話が長いとよく言われるようになったのだろう。全部説明しないと気がすまないのはしかし中学生のころからそうで、ベッドに入って本を読みながら寝ようとしている姉に対して、一日のできごとを1時間くらいかけてずっと喋り続けていた記憶もある。
というわけで、いろいろ長い話を思い出して書いてみたが、いずれも超ロングというには物足りない。
ちなみに、うちの最寄の生鮮食品一般を取り扱う店の名は「スーパーナガイ」。