ティティクヮクヮ

zushonos2007-01-16


火曜午前1時ナウ。日曜午前9時からの睡眠時間が極少なのだが、まだ眠くならない。身体的にもセカンドステージに突入したのだろうか。
年明けからのロングラン興行はいまだ継続中で、私のメンタルコンディツィオンはソウグレイト。自己研鑽も堂に入った趣があるが、身内の強力アシストも欠かせない。逆の状況のときは私自身はむしろインタラプトしていたものだと反省。身内と足掛け15時間におよぶディスカッションの後、今後は私も身内をアシストするということで片付いた。そんなことはともかく周囲を巻き込んでしまいアクシデントinあきる野IC-八王子JCT間は6月開通。
さて、自身を省みるに、きっと自分の父もこんな有様なのだろうなあと思わずにいられない。もっとも私がティーネイジャーになって以降は、父とまともに会話をした記憶もなく、父親像は多分にイマジネイションによるのだが、つまり父と私は「鳥好きで同じ歌ばかり歌う勤勉でない酒が飲めない口下手なおっさん」という点にコンソリデイトされるのではなかろうか。
鳥好きは私の姉にもしっかりと受け継がれている。これはわりと誇らしい。同じ歌については、父はビートルズなど一世を風靡した人たちもきっちり好んでいるようだが、当方はそのあたりをやや外しているつもりではいるのだが父もそういうつもりなのかもしれない。ともかく父が歌うときは常に「ダイアナ」で、当方はきっと「夜行」あたりを歌っているのだろう。双方勤勉でないのはよくわかる。ここまではまだベターニュースだ。
以下はバッドニュースで、メンタルコンディツィオンにダークシェイドを落としている点。
酒が飲めないこと自体はかまわない。運転が好きなので、我慢しなくてもよいというお値打ち体質だ。バッドなのは、年末、酔っ払いに対する強硬な態度を表明した際、父が「わが意を得たり」風味に相槌を打ちやがったことだ。まだまだ父と異なっていたかった私の年末はこのできごとでインクライン
口下手については、こうだ。私はもとより人見知りが激しく口下手なキッヅであっような気がするが、おそらく中学生くらいから、あるマターについて話すに際して、すべての背景をイクスプレインすることで聞き手に追体験を要求するようになって、エニタイムトークロングとなり、また、口語的でない言い回しをおもしろく感じてあえてそのようにしゃべったりするようになって、結局口下手なのだが、一見たくさん喋るキッヅ→おっさんへと変化してきた。が、昨今、身内の強力アシストを受けると、絶句して回答できないあるいは喋っている内容がいつの間にか正反対になっているという有様なのである(身内もほぼ同様ではあるため我が家においては絶句セッションもウォッチャブル)。これは実に父とザセイムで、もう嫌。母や姉に何か言われて絶句する父の姿は瞼裏にバーンド。
イッツア円熟と信じて今日を生きることにしよう。ユーシュドゴトゥホスピタルトゥダイと言われそうだ。
以上の内容で想起される読みものはありますか。