呈愛好家

zushonos2007-01-10


年末は嫁のほか、嫁妹1名、友人2名を連れて、5人乗り乗用車に満員で我が故郷の宇部市に向かった。帰省の渋滞を避けるため、深夜に出発したところ、夜明け前の岐阜・滋賀でちょうど大雪が降り始めたところに当たってしまい、余計な時間がかかったため、寄り道するつもりだった出雲大社石見銀山をあきらめて、玖珂の山賊で昼というか夕飯を食って故郷に着いたのは19時くらいだったか。休憩と食事はあったが、およそ20時間を要した。西に向かうと日が沈むのが遅くなるので安心する。大学に通うため東京に住み始めたとき、とても嫌だったのが、建物が高くて空が狭いこと、土が少ないこと、日が沈むのが早いことであった。
故郷の家に常駐しているのは祖母父母の3名であるが、いろいろあって無駄に巨大な家屋が建っているため、わたくしといたしましてはお客がたくさんいたほうが却って落ち着く。母もまあ忙しくはなるのだろうが忙しくしているのが好きな人でもありますのでしょう歓迎してくれる。
父親に対してはとくにこれといった感想もないが、鳥志向や立居振舞い、台詞回しやくしゃみまで、年を追うごとに「似ている」と周囲に言われる要素および自覚が増えてくる。祖母は不定期で私と嫁宛ての手紙を書いてくれるが、最近頻度が落ちてきたものの、出迎えてくれた様子を見る限りとくに変わった様子はない。ただ、母に言わせると「調子に波があっていまは良い状態」ということだったのが気になった。もっと気になったのはその母のことで、写真を撮ったらパルト小石に見えたというのはまあ良いとして、私の滞在中に、一度は葱満載のまな板を足元に落下させ、一度は料理が載った盆を抱えて転倒した。それぞれ規模はともかく発生しても不思議ではない内容ではあったが、調理師の母が食事の用意にかかわる部分でそのような事故を連発した有様を見た記憶がなく、またそれは決して進化とよぶべきものではなくむしろ逆であるに違いなく、なんだかわが小・中・高校生時に一日一時間以上過ごした沼書房が閉店になってしまったこととともに、決してうれしくはないできごとであった。
年内は、漫画を読んだりうどんを打ったり飲んだり食ったり九重まで日帰り旅行したりしたが、県内をいろいろ出歩けなかったのが心残り。また、後述の内紛の火種がくすぶり始めたのも年内であった。
31日に友人1名、年が明けて1日に嫁妹1名が、飛行機で東京へ戻っていくのを見送った。故郷の家から宇部空港(ユース世代は「山口宇部空港」が当然なんじゃろうなあ。そのうち「新山口駅」が当然なゼネレーションも現れるのだと思うと忸怩たるものがありますね)までは車で15分程度。出発30分前に空港に着くように出発、飛行時間約90分、そこから各人の自宅までは1時間程度か。全行程4時間ほどである。航空券は確かに高額であるが、航空会社関係会社関係者−今回飛行機で帰った2名はそれに該当した−は、やりようによっては実に安価な航空券を利用できる。残りの3名はこれには該当しなかったが、各人が使いきれないマイルを抱えていた。
ちなみに父母は一台ずつ5人乗り普通車を所有しており、また年末年始の休みの時期であればこれが同時に稼動する機会は少なく、使い放題である。
このような条件から、やはりどう考えても飛行機利用が賢明であったが、もし出雲大社石見銀山に立ち寄ることができていたのなら、それなりに効率的な移動であたったはずだ。そんでマイルの流通価格を考えると、高速・ガソリン代だけなら往復5万円程度なので、2名以上で移動すれば一応安上がりですよねきっと。
ともかく私は自分で運転するのが好きなので、そこそこ楽しめたが、年々、連続運転可能時間・距離が減っているような気がしてならない。
次回は皆様で飛行機にして、ゆっくり県内や九州をめぐりましょう、と言っておきながら、やっぱり運転したい気もする。
31日の夕食は、県下に根付くスーパーマーケットチェーン鮮魚部門勤務の旧友が手配してくれた刺身やらなにやらをがつがつ食う。31日の夜は、毎年、その男を含めた、現在はそれぞれ違う場所に住む、高校のときの同級生4名程度をうちに呼んで飲み食いする。新しい友人の一人が飛行機で帰ったのと入れ替わりに、残念ながらいつもの1名は不参加だったが、3名がばらばらにやって来た。
故郷に住んでいたときは、隣町の漁師の親戚がお達者で、おそらくは高級でこそないのだろうけれども、ともかく新鮮な魚介を届けてくれていたため、感覚的には、刺身は「無料で頂戴した新鮮な魚介を母がさばいて食べるもの」であった。よって、東京に住み始めたころ、金もなく刺身を食う機会などほとんどなかったが、稀に裕福な知人宅でご馳走になる刺身は、うまいかどうかはよくわからんがしかしその値段を見てしまうとコストパフォーマンスに疑問を感じたものである。
今回故郷で食った魚は購入したものであり、実は価格設定などが著しく異なるのかもしれんが、ともかく先日川崎市内のスーパーで買った刺身より確実にうまかった。故郷で、家族や新旧の友人に囲まれているという状況も良いほうに働いているのは間違いないが、つまり故郷は良いなあ。
スーパー勤務の男の正月1日は、たいていの場合3ヶ月ぶりの休日で、正月も2日から早朝出勤である。わずか30時間程度の中休みの大半を毎年うちで過ごして行ってくれるが、比較的早くおやすみになって夜更かしはせず別卓で飲食することが多い。今回も同様で、新しい友人たちもそれぞれ漫画を読んだりしている中、当年30歳になった2名と、本人いわく「東京コーヒー」に起因して同級生ではあるが1歳年上の1名の鼎談の中身は基本的にやはり昔話だ。振り返ってみれば同級生で比較的対人関係構築術に難があるという以外は大した共通点もない面子なのだが、かろうじでそれぞれ少しずつ趣味が重なっており、それらにまつわる最近の話題から、言葉尻をとらえて昔話に移行するのが例年の倣いである。
昔話が一巡するとおよそ話題が尽きてしまい、それでも久しぶりに会ったので同じ話題を反芻しだすのが常であったが、今年は少々様子が違い、それぞれの現在について、例年よりも踏み込んだ会話があった。
背景としてはつまり、社会性だの精神性だのといった部分はさておいて、みな体力的におっさんになっているということがある。十数年前に同じ学校に通った同世代について、プロスポーツ選手が引退した一方、声優は一定の評価を得て今後も評価を高めていくであろうと思われるとか、5年前はほとんど休みがないと言っていたホームセンター社員は結婚してオーストラリアに新婚旅行に行ったとか、時の流れを想わずにいられない事象が相次いだこともあった。
31歳の男は数年前から結婚を意識する相手がいるものの適当に過ごしていたが、周囲の動きが気になり始めたという。30歳の2名は生業のありさまにさんざんけちをつけていたが、その生業を変えられないディレンマといったものを意識したのではないか。少なくとも私はそうだ。
これまたある程度年をくってしまったがために、冗談の中にも多少の重みがあったのであるが、「期待を裏切られた/失望した」ということばもひとつの主題になった。前出のプロスポーツ選手については、同じ空間で相当な長時間を過ごしたことがある人物の中で、「世界」と名がつくものに最も近づいた男で、勝手に期待して勇気付けられたりしていたが、今回、私にとっては早すぎる引退で、ある種(勝手に)「裏切られた」。また、今回欠席になった旧友は、わたくしどもから見ると、学術の分野における一人の天才で、(多少面白がって)偶像視させてもらっているため、本人不在を良いことに(有在でも別段遠慮はしないが)、彼に失望した事例を挙げて楽しんだ。いわく「ドラゴンクエストをプレイしていた」「広島東洋カープのファンであった」「島谷ひとみのファンであった」等々。
そんな衰えや焦り、失望を感じる年頃のおっさんたちが、自身の有様について感じているのは、31歳のことばを借りると「守りに入っている」というものであった。そういえば彼は以前「会社を辞めたい。辞めるときは『おい、社長』と呼びかけてやる」と言っていたが、呼びかける部分は実現できないまま転職し、現在はそんな考えすら浮かばない様子である。年が変わり、せっかくだからこの「守りにはいっている」有様をやめて攻めてみるとか反対に守り抜いてやるとかいった決意をするでもなく、午前2時くらいに解散した。5,6年前は翌朝まで喋って初詣に行ったものだと思い出した。
1日は嫁妹を送り出した後、下関市内にある姉夫婦の新築一戸建て視察に行った。我が姉ながらイカス家を建てやがるという感想を持った。それ以上に鳥の置物がうらやましかった。
2日は、母方の祖父母宅経由で自宅へ向けて出発した。時間はたっぷりあったので、ひたすら燃費走行をしたりしながら3人交代で運転し、14時間ほどで帰宅。3日4日は半分寝て過ごしたが、4日は、翌日以降の水面下に思いを馳せてしまい暗澹たる気持ちになり、とある嫁の振舞いに嫉妬し、また過去の事例を想起して無駄に立腹した私が勝手に不機嫌になって、以後、一家総出演、史上最長の不機嫌ロングラン興行が断続という有様である。
ともあれ、年が開けたこの時期にこんなくそ長文を書く環境・精神状態にあるというのは、良し悪しは別にしてここ数年無かったことなので、わたくしといたしましては一抹の喜びはありますことですよ。