続・アキラめ

素敵でした


アキラの披露宴で、スピーチを頼まれていたので、7/1の日記のような話をしようと思っていたのだが、予想以上に盛大な披露宴だったため、また、バイク用語やオーナーズクラブの背景の説明が難しいので、代わりにアキラの会社の人のスピーチのねたをうまく取り込んでやろうなどと邪な考えを起こした結果、緊張してしまって次のせりふが出てこなくなり、ときどきあるラジオ深夜便並みの30秒以上沈黙を連発という失態をやらかしてしまった。最後はなんとかアキラのすごい話をまとめて多少うけてもらったようだが、我ながら、これでは次の興行で声をかけてもらえないなあというしょっぱさだった。席に戻ったら、1週間前に30歳になったはっこちゃんから「20代はだめだな」と言われた。

アキラの会社の人たちのスピーチは、そのようなしょっぱさとは無縁の楽しいものだった。アキラは、かつて会社で働くことが辛いと漏らしていたこともあったが、いまではエースの座を獲得。あまつさえ社長との間柄はスーさん浜ちゃんのそれだという。マサオもといマサヨさんはアキラの同僚だったが、1ヶ月前に退職していた。しかし、披露宴や二次会に多数出席した同僚の方々からカムバックを求める声が止まない。アキラが究極のプログラマーとすれば、マサヨさんは至高のユーザーサポートであったようだ。

アキラはスケジューリングが苦手だという話があったが、これについて推察してみた。「休みなく走り続ければ12時間で到着する」とアキラが見積もったとする。たぶん、温暖で晴天で交通量も少ないといったように、条件が良ければ、アキラの見積もりより早く走れる人も大勢いる。だが、実際には雨が降ったり凍結したり、渋滞が発生したりして、ほとんどの人は到着までに2倍の時間がかかってしまうことは珍しくないのだろう。もし、実際に走るのが全員アキラであったなら、どんな状況であっても、にこにこしながら、ちょうど12時間で走りきってしまうのだろう。が、アキラのような人は滅多にいないので、条件がよければ早く到着するし、悪ければ遅れるものだ。このあたりの感覚がちょっとあれだと思いますがどうなんでしょうかしら。

披露宴で、それまではきちんと挨拶したこともないのに、勝手に「マサオ」「レイコ」として会話に使わせていただいていたアキラの父母に挨拶できた。いちどアキラ邸でお目にかかったことがあるアキラばあちゃんは残念ながら欠席であったが、アキラ着用の紋付袴はばあちゃんお手製(大変似合っておりました)。かわいらしいおばあちゃんが大好きな私は、司会の人が披露宴の最初にこの話をしたところで感涙。ともかく素敵な披露宴と二次会であった。

再び書いておく。やりやがったな、アキラめ。


あきらめ。諦念。定年。先日、水面下勤務の、先達の中の先達、ジャックさんと並び称せられる業界の重鎮、日本ハムファイターズの背番号5番に名前が似ていなくもない、愛称:名人が定年を迎えた。それに先立つ一週間前、部をあげて、名人の功労をたたえる、慰労会が、ときどき水面下の社員食堂で催された。ちなみに名人の外観は、ジャックさんと似ていなくもないが、ジャックさんがダンディ路線だとすると名人はかわいい系(「なんとか系」を一度使ってみたかった)。

正直なところ、名人と直接仕事をする機会がなかった私は、この日まで、名人の業績について詳しくは知らなかった。慰労会で、部長が名人の業績を読み上げるという催しがあった。それらは、決して派手な内容ではないのだが、それぞれが現在の我々の仕事に何らかの形で確実に影響を与えており、名人の名人たる所以が理解できた(しかし名人という愛称は麻雀卓を囲んだときについたものだとも聞いた)。ともかく、名人は弊社の主要業務の礎を組み立てた人。ソビエト連邦解体時にはわけあって各種メディアの取材に本人いわく「はったりも交えて」対応したりしたこともあるそうだ。UGヨンさまは名人の直弟子だった時期もあるそうで、ヨンさまから名人への花束贈呈があったりもした。

参加者全員が、名人の業績を称え、感謝しつつ、かといって未練がましく引き留めるわけでもなく、快く送り出すありさまとでも言おうか。不必要にかしこまることもなく、暑い時期なのでノーネクタイの人も多い。本人も、ことさら悲しみも喜びもしていなかったようだ。ただ、やり残したとか、志半ばといったような様子はなく、なにかをやり遂げた人の清々しさが感じられたように思う。慰労会の途中で、今では他の部で活躍する人々が入れ替わり立ち替わり名人をねぎらいにやってくる。名人の周りの人の輪は途切れることはなく、しかし人だかりというほどには集まり過ぎない。私はずっと離れて見ているだけだったのだが、なんだかとても良かった。

前述のように、皆不必要にかしこまることのない会で、名人本人もネクタイこそしていたが上着は着用していなかった。そんな中、ジャックさんだけは、会が始まる前までは上着もネクタイも未着用、サンダル履きだったのに、この会には上着・ネクタイ・革靴着用で登場したのである。ジャックさんも名人と並ぶ業界の重鎮かつこの会社の功労者で、来年に定年を迎える。私がジャックさんにさまざまな教えを受けていた折、ジャックさんが名人批判とも嫉妬ともとれる発言をしたことがある。互いに(かどうかは知らんが)一目も二目も置いていた故に、そのような発言にいたったのではないだろうか。会の途中にジャックさんのスピーチがあった。内容はよくおぼえていないが、ジャックさんらしく長い話の中に、名人に対する敬意をはじめとするさまざまな感情が含まれたとてもよいスピーチだったような気がする。もしかしたらそうでもなかったのかもしれないが、そのスピーチに至るまでの過程で私はしみじみと感動し満足してしまっていた。

会の後には、私は会場の片付けを手伝いながら、まだ会場に残って立ち話している名人やジャックさんたちの輪を見つけて、携帯電話で写真を撮った。会場が暗かったのもあるが、感動の余韻もあって手ぶれしてしまった。気が早い話だが、ジャックさんや他の人が定年を迎えたときは、どんなふうになるのだろうかと思った。私の親もここ数年で定年を迎えることを思い出した。