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たくやとわたし


アキラに初めて会ったのは8年前。お互いにまだ大学生のときだった。

そのころ、私は、今でも所属しているバイクのオーナーズクラブに入会したばかりで、アキラは私よりも前にこのクラブに入会していた。このクラブは初期からメーリングリストでの交流を主体としており、会員は全国に住んでいるが、実際に顔をあわせる機会はそう多くない。また、私が入会したころに会員は150名ほどになっていたので、よほど頻繁にメーリングリストに投稿する人でなければ、実際に会ってみないと、会員の人柄を推察することもできなかった。

どちらかといえばおっさん向け車種のオーナーズクラブなので、神奈川県で実施された深夜の集会や、滋賀県で開催された全国集会などに参加してはみたものの、同世代の会員がほとんどおらず、居場所がない感じを受けたこともあった。

そんな中、5月に、福島県木賊温泉でのキャンプツーリングが開催された。事前にメーリングリストで参加者を募り、10名以上が参加するにぎやかなツーリングになった。アキラもこれに参加しており、おそらくこれが初対面となったが、正直なところ、このときのことはあまりおぼえていない。理由はいろいろ考えられる。もともと私は人の顔をなかなかおぼえないとか、アキラのほかにも初対面の人が多かったとか、濃厚な人が多かったとか、ツーリング途中で舗装路組と未舗装林道組に分かれたとか。

最後のやつについて少し詳しく書いておく。先に「おっさん向け車種のオーナーズクラブ」と書いたが、ヤマハの5バルブ並列2気筒エンジンを積んだバイクのオーナーズクラブで、事実上の対象車種はXTZ750、TRX850、TDM850の3種であった。XTZは当時すでに廃盤か廃盤になりかけ、TRXは後発のライバル車種が絶賛人気拡大中、TDMは初期型の国内仕様が廃盤になり、2型は海外仕様が2年ほど先行発売、国内仕様再発売前という、言ってみればまあ不人気車種のクラブであった。ともかく、XTZはオフロードスタイル、TRXはオンロードで多少レーシー、TDMはその中間の(だがたいていの人はオンロード用途とみなす)スタイルであって、得意とする道路の種類が異なるのである。ちなみに私はTDMのオーナーで、このときは舗装路組であった。アキラはTRXのオーナーで、このときは林道組であった。といってもアキラはこのときTRXで参加したのではなく、同時所有していたXLR-BAJAというオフロードバイクでの参加だったのだ。学生なのにバイク2台所有しちょる、という感想を持ったかどうかもおぼえていない。

その後も台風の影響下にある夏油温泉でのキャンプツーリング(アキラ:TRX、私:別メンバー運転の四輪)に参加したり、房総半島ツーリング(アキラ:TRX、私:TDM。たぶんこの組み合わせで一緒に走ったのはこのときが唯一)に参加したりして、徐々に顔を合わせる回数が増えていく。さすがに2度3度会っていると、アキラの確かな存在感が伝わってきた。大きな人、柔和な人、運転は無理をせず確実に、それでいてダイナミックな走りを見せる人、いつもにこにこしている人(当クラブには自称「いつもにこにこしている」人がいるが、そんなことは自分でいうことではないと思うし、その人の場合実際はいつも「にやにや」している)、いつもBAJAに乗っている人という印象である。

この年の夏、北海道をツーリングした私は、山の奥に湧く温泉に行くため、大きな荷物をくくりつけたTDMで未舗装林道を走る苦行を体験。翌年冬から始まった、クラブのメンバーによるオフロードバイク(貸出可)で川原を走って楽しもう企画に参加した私は、オフロードバイク欲しい病にかかり、個人売買でXLR125という原付2種のオフロードバイクを手に入れた。

アキラはその春就職を果たし、私は大学は卒業したものの、前年から始めた水面下でのアルバイトを継続していた。そんなアキラ就職直後の週末に、オーナーズクラブの有志で、当時は規制がほとんどなかった伊豆の林道を走るツーリングが催された。

このオーナーズクラブは、該当車種を所有しているときに入会したら、手放しても辞める必要はないという会則になっていて、オフロードバイクに乗り換える人もいたり、同時に2台以上所有する人もいたりして、ともかく未舗装路を走るのが好きな人が多い。XTZの人、TDMの人、その他オフロードバイクの人、BAJAのアキラ、XLR125の私など、多数が参加した。速い人も遅い人もいたが、そこそこ順調に予定を消化し、残すところ2割といったところで、事件が起きた。

アキラのBAJAがパンクしたのである。これはアキラの運転がどうこうというわけではなく、単に運が悪かったのだろう。誰かがパンク修理キットを持っていたが、チューブが激しく破損し、修理キットでは対応しきれない状態にまでなっていたのだと思う。仕方なく、残りの行程を切り上げて、日があるうちに山を下ってしまうことにした。下りの間はなんとか走れるだろうというか走るしかないという判断であった。なんとか山を下りて舗装路に出たが、パンクしたバイクで200km離れたアキラの家(茨城県土浦市)まで走るのは不可能。近所にバイク屋は見当たらず、日も落ちて、バイク屋があったとしても閉店する時間帯になってきた。

アキラは「明日は会社を休みます。夜明けまで待ってバイク屋まで押していきます」と主張して止まない。しかし新入社員のアキラは研修期間であって、ここで会社を休むことは死を意味するッ、と判断した周囲の年嵩の連中が必死に説得し、横浜にいたクラブのメンバーに電話して車を出してもらい、回収。バイクはそこで預かってもらい、アキラは電車で帰宅することができた。ちなみにこのとき私は往復の行程で疲れてしまい、XLR125はほどなく手放した。

初夏になると、東北方面でのツーリングが月一回のペースで催されるようになり、このツーリングは「極東」と呼ばれることになる。前年の木賊温泉以来、東北のすばらしさに感銘を受けた私はこの極東に毎回参加。アキラも同様で、毎回BAJAで登場していた。東北ツーリングを主催するYさんは混浴が好きな3児の父で、物静かな素敵な人だが、人をそそのかすのが巧みという評判。

そのYさんから、前々年の秋に開催された極東プレイベントとでもいうべき桧原湖キャンプのときの、アキラにまつわる出来事を聞いた(そのキャンプのとき私はまだオーナーズクラブに入会していなかった)。そのころ、キャンプ場はかろうじで営業期間ではあったものの、当日は冷え込み、夜は路面が凍結した。管理人は「テントだと凍えるからこたつに火をいれたバンガローに泊まりなさい」と、テント泊の料金でバンガローに泊めてくれたという。そんな危険な条件下、TRXで参加していたアキラは、周囲が泊まっていけと止めるのを聞かず「明日アルバイトがあるので」と、月明かりを浴びて光る凍結路面を走って帰っていったという。そういえば伊豆の林道のときも頑なだったなあと思ったものだ。

この夏アキラはCRMというオフロードバイクを購入。BAJAに比べると軽量でパワフルなバイクだ。私は余ったBAJAを横浜中央市場の食堂のかきあげ丼と引き換えに譲ってもらった(TDMは手放した)。BAJAのマフラーは音量の大きいものに交換してあったのだが、純正のマフラーはインド人に追突されてゆがんでしまったという話を聞いた。アキラと一緒に走る機会が増えて、無理をせず確実に、それでいてダイナミックな走りをするという印象を新たにする。アキラ邸(実家)を訪れたときに、藤子不二夫漫画を中心とした漫画の量や、ザ・フォッグナイトライダーのビデオを拝見し、同じ分野に興味を持つ人だということを確認した。後日、アキラが一人暮らしをしたときに住んでいた家はトイザらスが徒歩圏内にあったが、これは各種アイテムが至近にある環境を選んだのだろうと決め付けた。

この後もボーナスの時期になるとアキラはバイクを買い足したり買い換えたりした。もう順番がわからなくなったが、私がおぼえている限りではJOG、XR600、XR250、NS250、LANZA、TT-R、XTZ750、TDM900など。バイクが好きなのかと思ったら、自転車を買ったり、四輪を買ったりしたこともあった。タイヤが好きなのだろうと思った。順番がわからなくなったついでに以下の出来事も順不同。

極東の忘年会は例年12月の上旬に仙台で行われる。時節柄、四輪の参加者が多い。ある年、アキラに「四輪で行こう」と誘ったら、翌日休日出勤の可能性があるので、バイクで途中まで行って引き返すと主張して止まない。金曜日の夜中に出発するのだが、途中で別のメンバーと合流する。そこから先は寒さに負けて車に同乗するだろうと踏んで出発したことがあった。別のメンバーと合流した時点で、アキラの顔には鼻水が光っていたが、バイクを預けなさいというとそのまま走り出してしまった。次の目的地は山中に牧場がある鹿角平。途中合流のメンバーはそのあたりの地理に明るいので、我々が乗る四輪は順調に進む。鹿角平でまた別のメンバーと合流したのは深夜1時過ぎ。「鹿角平までは行く」と行っていたアキラはなかなか来ない。合流をあきらめて出発しようかと相談していた午前3時にアキラ登場。「途中でエンジンがかからなくなり、まったく明かりがなくなって死ぬかと思った」そうだ。

一件落着、さあ出発しようとしたら、アキラのバイクのエンジンがかからない。このときのバイクはXR600で、セルモーターはついておらず、キックペダルでエンジンをかけるようになっている。キックしまくるがかからず。一同で押しがけ大会を行うがエンジンかからず。何往復かしていると、やっとエンジンがかかった。一件落着、さあ出発。山を下って太平洋岸に出たころには夜が明けた。XR600の不調の原因は1万km以上交換していないというエンジンオイル(バイクのエンジンオイルは3000kmくらいで交換する人が多い。またXR600はレーサーを公道で走れるようにしたものなので、走り方にもよるが、もっと短い期間で交換しても十分自己満足に耐えると思う)だろうという疑惑が湧いており、24時間営業のガソリンスタンドで早朝からオイル交換をした。私はこのとき眠気に勝てず四輪で眠っていたのだが、オイル交換の目撃者によると、古いオイルは異常に粘度が高い銀色の物体に変わり果てていたという。アキラはこのあと本当に引き返していった。休日出勤は結局なかったと聞いた。

1年以上経って聞いた後日談によると、押しがけしてもエンジンがかからなかった原因は、キルスイッチがOFF(転倒時などに強制的にエンジンを切るためのスイッチで、OFFにするとエンジンが止まる)になっていたことだったそうだ。何往復かしたあとに気づき、言うに言い出せず、そっとONにして、何の変化もないのに突然エンジンがかかった振りをしたという。

アキラは夢がたくさん詰まった体(うちのたくやに似ているので、たくやを紹介すると、アキラが「この人は自分の兄さんです」と証言した。たくやという名前はこのときアキラに教えてもらった)の持ち主だ。オーナーズクラブのメンバーで、習志野でレストランを経営する人がいる。この人も夢がたくさん詰まった体の持ち主だ。このレストランで食事しているときに、二人が痩せる競争をすることになった。アキラのセコンドには、私の嫁妹(栄養士免許所持)がついた。アキラの食生活を聞き取り調査し、改善案を出す。しばらくこの改善案を守ったアキラは、2割ほど小さくなった。しばらくすると、また夢がたくさん詰まってきた。

ちなみにこのときのセコンドに対するギャランティは、アキラの蔵書「パーマン」単行本の貸出によって支払われた。あまつさえこの単行本にはオプションがついていた。ページの間に紙切れが挟まっていたのだが、この紙切れには幼少時のアキラが描いた宝の地図が記されていたのだ。アキラはこの地図のことをすっかり忘れていた。宝は改築前の実家の地下に埋めて掘り出していないので、改築後はどうなってしまったかわからないということだった。

アキラと私と私の嫁と3人で八丈島に行ったことがある。私と嫁は買ったばかりの自転車を輪行バッグに詰めて、自転車ツーリングが目的だ。アキラも自宅から自転車を持ってきたが、前述の買い足した自転車ではなく、アキラ父(マサオ)所有のクラシカルな自転車だった。私と嫁の自転車は比較的簡単に輪行バッグに収納できたが、マサオ自転車はそうもいかず、分解、組み立ていずれも少々時間がかかった。のみならず、ブレーキのききが甘かった。自転車で八丈富士に登った。登る途中で歩行による登山者に抜かれ、抜き返せなかったりしたが、それは命にかかわる話ではない。下りでブレーキがききづらいアキラはきっと死ぬ思いをしたことだろう。「怖かった」と言いながらにこにこしていた。

私が年末に故郷の山口県宇部市へ帰省する際、四輪を片道1000km運転しなければならないので、運転手交代要員兼客人としてアキラを誘ったが、アキラは来なかった。年が明けて2日の昼、アキラから電話があった。電話に出ると、アキラは「今宇部市役所の前にいるんですがお邪魔しても良いでしょうか」と言った。宇部市役所まで迎えに行くと、アキラは新車のTDM900のそばに、寒そうに、しかし楽しそうに立っていた。正月にバイクに乗るとなると、厳重な防寒装備をしても足りないくらいだが、アキラのグローブは夏用の薄手のものであった。夜通しで1000km以上走ってきたそうだ。故郷の一同で驚きつつも大歓迎したが、1日後であったら、我々は自宅に向かって引き返しているところであった。

そんなアキラだが、ここ1、2年は会う機会が減っていて、会ったとしても、アキラがバイクに乗っている姿を見ることが少なくなってきた。会うときは必ず四輪に二人で乗っているのである。アキラともう一人はマサオと間違いそうなマサヨさんである。アキラはタイヤ好きなのだが、マサヨさんもタイヤというか運転好きだという。そんな二人が今日結婚式を挙げる。

やりやがったな、アキラめ。←フルアヘッドココ風味の終わり方

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