四天王の一人

なんだか元気が出ない。先日漫画雑誌を立ち読みに行ったら、普段は読まない上田正樹もとい植田まさしの『かりあげクン』掲載誌の表紙に「かりあげ、得意の五月病」とあるのが目に入った。15年くらい前にコボちゃんのアニメが放送された際、話の種にと一度だけ視聴した際、漫画では横顔しか見せないコボちゃんが正面を向き、その顔がフグタタラオと同じだったことに言い知れぬ恐怖を覚えたことがあるが、今回もそのことを思い出しはしたが、それにつけても「得意の」という言い回しにひどく感心した。

5月の連休は、ほぼ2泊3日で仙台と山形に行ってきた。

4日の2時過ぎに自宅を出発し、仙台に行く途中で、朝方亘理の鳥の海に寄り、鳥写真をとりまくる。つもりだったが、満潮気味の時間帯で、期待した干潟の鳥が少なかったのが心残り。定義に行ったりして未舗装林道に行くが、残雪が多い。鳥の声はするが姿が見えない。その日は仙台の嫁実家持ち家で宿泊。嫁父の奇跡的というか排水パイプを撤去してまで達成した偏執的(褒め言葉です)車庫入れ術を見て驚く。家の庭のウッドデッキで、近所の人とにぎやかな夕食をいただく。私は17時過ぎに就寝。

翌日は10時くらいに出発し、泉が岳周辺の林道を経由して鳥写真撮影を目論む。一心不乱に若芽を食べ続けるコガラ写真が撮れた。やはり残雪が多く、山を下って県道・国道で山形方面に向かう。途中銀山温泉に入っていこうと思ったら、ずいぶん手前(推定)からたぶん合法の路上駐車の列が続いていたので見物も断念。

山形は嫁いとこ家の、当年とって18歳、柴犬っぽい雑種ちゃげさん(とてもかわいらしいおじいちゃん)に会うのが目的。とてもお年寄りになっていて、散歩の距離は短くなり、歩くのはとても遅くなっていたが、ますますかわいらしい。ちゃげさんは、家の中の仕切られた区画に住んでいるのだが、そのすぐ隣に布団を敷いてもらって並んで寝た。寝る前の晩飯は焼肉屋に連れて行ってもらったが、2つ隣の席の家族が激しい口論を始め、しまいには娘らしき人が号泣していたのが印象的。

明けて6日は早朝ちゃげさんの散歩。山形駅まで行き、土産を物色。昼飯にそばをご馳走になって帰路につく。裏磐梯に抜けて帰る途中、山形県内で散髪する計画だったが、白布峠が夜間通行止め。峠を引き返す途中、最初に見つけた散髪屋で散髪。いつもどおり「2cm残して全体的に短くしてください」と伝えたのだが、嫁いわく「過去最高に都会的な仕上がり」だった。理容師はかわいらしいおばあちゃんだった。缶コーヒー、飴とチョコレート、靴下を土産にもらった。国道13号で福島に抜けてあとはほとんど国道4号で帰宅。久しぶりに下道を長距離走った。

10日ぶりくらいに会社に行った月曜日は頭痛。なんとか一週間をやり過ごし、週末は友人宅でカレーを作って食い過ぎ。身内が不調のためこの一週間入院していた。五月病とみなされないか心配だった。

次の月曜日はまた頭痛。水曜日と木曜日には普段と少し違う仕事で、仕事でなければまず一生立ち寄ることがなかったであろう路地を何本も走ったり歩いたりした。行ったことがない路地を動き続ける仕事があったらやってみたい。

なんとか一週間をやりすごし、土曜日はしっかり休む。日曜日は水面下で共に働く5人と嫁の計6名で、山梨県増穂町に田植えに行った。土曜日までは雨が降り続いたり激しく降ったりしたが、日曜日は快晴。富士山を望む棚田で手植え。昨年比で若い力が増えたことと、現地のプロフェッショナルの援助が絶妙であったことが重なったためか、予想以上に順調に田植えが終わってしまった。とても楽しいのだが、これが仕事だと楽しんでばかりもいられないのだろう。田植え靴を洗って乾かすことだけ考えても大変そうだ。ちなみに昨年共に田植えした人3名も別組で参加しており、偶然再会。よかったよかった。

翌日が休みならいろいろ寄り道するのだが、今回は林道一本と旧道一本止まり。その後の中央道渋滞には辟易。晴天時の往復はやはりバイクが望ましいが、それはそれで面倒でもある。電車は高くつく。自転車はどうしてあの上り坂を上るきになれようか。ジャンプ台の実用化が待ち遠しい。

次の月曜日からはなにやら仕事が大変で今に至る。この先しばらく深谷陽漫画がたくさん読めることと、水面下の近所でもオナガシジュウカラが見られるようになったのが救い。

五月病もあと5日ほどで終わってしまう。困ったものだ。