きのうきょう

zushonos2011-03-12

川崎の地下街にこんな横断幕があったのか。これまで気付かなかったのか、今回の地震を受けて掲げられたものなのか。

まず、自分や嫁の親戚筋、近しい交友関係について、おおむね体は無事らしい。
以下に地震関連の経過と感想などを書いてみる。
月並みとか、甘いなどと取られたら、その人はきっときちんと備えている人だと思うので、かえって幸いよ。

  • 金曜日、土曜日は、東京都大田区埋立地にある某公園にて勤務の予定であった。金曜日の午後は、某公園の事務所(木造2階建ての1階部分、わりと散らかっている)で、上司とともに、PCを使った作業をしていた。
  • 最初の揺れを感じたときは、上司ともども、「ああまた地震か」という感想だった。そのまま作業を続けていたが、数分揺れが続き、しかもだんだん強くなってくると感じ、「何かやばい」と顔を見合わせた。自分たちの座席と少し離れたところにある書架が、ゆっくりと、しかし大きく揺れ始め、一番手前の書架が倒れ、隣の書架に寄りかかる。満載の本や印刷用紙がなだれた。
  • 書架が揺れ始めたあたりから、上司ともども、未体験の揺れだということに気づく。埋立地特有の揺れもあったのかもしれない。上司は大柄で力強いナイスガイで、不要なことに腰が引けたりするような人ではないのだが、二人して作業机の下に半身を入れ、いつでも全身を隠せるように構える。作業机の下にもいろいろ荷物があったりして、全身を隠すのが難しそうなのが気になったので、自分の机の下の様子も伺いながらの体捌きであった。後に、互いに「生まれて初めて本気で『机の下に隠れよう』と思った」と語る。
  • 揺れが収まった直後は、地震の規模を把握できておらず、精神的にもまだ余裕があった。倒れた書架を起こし、書架から落ちた荷物を片付けはじめたところ、余震でまた大きく揺れる。このときも机の下に身を隠せるよう身構えた。余震が収まるまで、書架に戻すのは危険と判断し、ひとまず落ちた荷物を開いた空間に移動させることにする。
  • 片付け作業中も頻繁に揺れる。ようやくインターネットで情報収集することに思い当たり、検索すると、震度の数値やその範囲が見たこともないものだということがわかる。自分がいる場所の揺れは比較的小規模な部類らしいとわかり、驚く。一応、落ちた荷物をそれなりに片付け終わる。
  • 上司が本部などに状況確認、状況報告。PCのメールは送信できるが、電話の通話はほぼ不通、携帯電話メールの様子も送信不調や遅配があるように思われる。
  • 自分はハイクを見てみる。快適に動いている様子。いつもの人がいて安心するが、別の人がいなくて心配になったりもする。不安を述べる人、励ます人、冷静に情報を整理する人、無関係なネタを書く人。現金なもので、たとえば先日の海外で発生した地震の際は、自分は「無関係なネタを書く」部類であったが、程度の差はあれ、当事者になってみると、無関係なネタ(というよりも「無神経」といいたくなるネタ)を書く人に共感できない。そのほかの人には共感したり感謝したり。
  • 同じ建物にある隣の事務所にはテレビがあったので、そちらに移動してニュースを見る。津波関連のあの映像やあの映像を見て、無力感に打ちひしがれる。一方、嫁や故郷ともメールなどで連絡がとれたし、親戚筋も徐々に連絡が取れつつあるようで、ひと安心。小学校来の友人がどうやら自分の安否を気にかけてくれていたようで、泣ける。
  • 17時で当日の営業終了。別の建物で勤務していた同僚が事務所に戻ってきて、互いに現状報告。上司と私の二人で、園内を巡回し、液状化現象の有無などを確認。人が立ち入らない場所で、それらしい現象を確認。
  • 通常であれば、いくつか事務処理をしたあと帰路につくのだが、インターネットやテレビのニュースの情報では、公共交通はほとんど機能していない様子。徐々に、当日中の復旧が難しいという様子が伝わってくる。公園の横を通る幹線道路は渋滞でほとんど動いていない。上司と同僚の住まいまでは、40km以上の距離があり、徒歩による帰宅は不可能。自分は20kmほどなので、徒歩帰宅を検討したが、新橋や渋谷の徒歩渋滞映像を見たこと、多摩川を渡らなくてはならないことから、安全策をとり、事務所泊を決意。
  • 事務所には飲料水の備蓄があり、また、水道と電気は問題なく通っていた。エアコンやポットもあるが、寝具はない。ひとまず食料の買出しに行く。上司の機転で、(生鮮食品や菓子パンは売り切れていたが)カップ麺やスナック類の在庫はまだあるコンビニエンスストアを発見し、3人x3食分を購入。箸の在庫が無くなっていた様子。事務所に戻る途中、ホテルのロビーの公衆電話を使い、まだ連絡が取れていなかった同僚の家族と連絡が取れた(ただし実家にはつながらなかったので親戚を経由)。
  • 隣の事務所のスタッフは徒歩で帰宅するという。事務所の広さとテレビがあることから、隣の事務所を使わせてもらうことにする。カップ麺を食べ、せんべいやチョコレートを食いながら、ニュースを眺める。まだ連絡が取れていなかった上司の家族から連絡があって一安心。そのほか、主にPCのメールで、他の関連事務所との連絡をとりあいながら過ごす。ハイクやテレビの情報で外界の様子を探るのだが、どうやら自分たちがいる場所は、揺れはしたが、広い空間が使えるし、電気と水道は無事だし、建物の耐震性はちょっとわからないが、建物から出れば崩落してくるものもなさそうだし、かなり恵まれているかもしれないと思うようになる。公共交通が一部復旧し始める。
  • 重いものが落下してきそうな場所を避け、事務用椅子を2つならべてうたた寝。熟睡は不可能であった。
  • 6時頃から起きだして、改めて公園内を確認。素人目には公園内はさほど異状はないように思われるが、東京湾津波警報が発令されていたので、不安は拭えない。路線単位でみると、公共交通は全体的に復旧し始める。ハイクを見ると、停電していた地域の人から復旧したという書き込みがあったり、徒歩を交えた帰宅が完了した人から無事の報告があったりして嬉しくなる。
  • 前日休みだった現場責任者が出勤。隣の事務所のスタッフと協議し、通常通り公園を営業するか否かの打ち合わせなどを繰り返す。上部機関が確認に回っているといった情報など、紆余曲折あり、当日の開園についての方針が決まる。
  • いろいろ。気が張っているのか、明確な眠気は感じないが、疲労が蓄積されているのは感じる。原発関連のニュースが非常に気がかりな展開に。頼りにしているハイクでも、
  • 幸いにして大きな問題は発生せず、閉園。私と上司は翌日休みだが、同僚は翌日も出勤。このあたりのやりくりでいろいろ。
  • 川崎を経由し、多摩区の自宅へ。通常利用する公共交通は、電車の便数が絞られ、ダイヤが不明瞭ではあったが、大きな混雑もなく運行中であった。
  • 川崎の地下街や駅ビルの店は、「流通が止まっている」「商品売切れ」などが理由で閉鎖中の店舗多数。
  • 電車ではハイクでいろいろ様子伺い。頼りにしている情報源のお題でちょっと残念に感じるやりとりがあったので、感謝を伝えつつ話題を逸らしたくて投稿したりする。
  • 自宅最寄り駅で降り、スーパーマーケットやコンビニエンスストアを経由してから帰宅。回転の早い商品で、かつ流通が止まっている菓子パンや牛乳などは在庫なし。その他の商品は現時点ではまだそこそこ豊富な在庫。ガソリンスタンドは給油待ちの行列。
  • 無事帰宅。自宅は積み上げていた靴の空箱が崩落した以外、目に付く異状はなかったとのこと。嫁が温かい食事を用意していてくれた。さらに、水、照明など、思いつく防災用品などはまとめておいてくれた。安心した。
  • 風呂入った。テレビでニュースを見る。ハイクを見る。嫁と備蓄などについて確認。ときどき地震。車のガソリンは8割くらい入っているが、満タンにしておこうかな、今日は一眠りしたほうが良いかな。
  • 事務所での揺れを経験し、あの映像を観ていなかったら、まだどこか危機意識が薄いままだったのではないかと思う(し、それは少々ぞっとする)。現在、自宅にいるこの瞬間は、電気水道ガスが問題なく使え、3日分以上の食料と水の備蓄もある。しかし、流通はいつどうなるのかわからない。杞憂かもしれないし、楽観的すぎるかもしれない。
  • バイク1台は車検に出しているが、嫁のバイクがあり、車もある。西に向かう公共交通や幹線道路の様子は平常時と変わらないところまで回復していると思っている。頻発する地震震源地もいろいろで、依然予断を許さない。現状を無駄に恐れてはいかんと思うが、余裕をかます必要もないと思う。もし俺様のことを心配してくれている人がこれを読んでいるなら、こちらはたぶん問題ないので、別の人の助けになってあげておくれ。
  • 幸いにして明日明後日は休みなので、引き続き万一に供えつつ、可能であれば、ハイクの情報整理の力になりたいと思ってはいる(のだが、これまでの様子もよくわからず、また得意分野ではないので、しりとりや駄洒落で気を楽にしてもらうのを狙った方が良いかもしれない)。