そのころ私は石段を一段ずつとばして勢いよく駆け上がり、

zushonos2010-01-02

琴崎保育園に通ったものだ。
本日は非参拝目的で琴崎八幡宮に出かけた。石段を駆け上がる元気はもはや持ち合わせていないが、あれほど長く感じた石段は今となっては大変に短く感じる。
初詣見物、絵馬見物はそこそこ満足。御朱印収集は人出が多かったので断念。で、馬場場(「ばばじょう」と呼んでいたんだが、考えてみるとどういう漢字表記が正解なのかわからん)に行って遺跡を見たらいろいろ刻んであったので驚いたりしながら帰宅。上宇部小学校の裏手を歩く。体育倉庫は無くなっていたようだが、離れの不思議な教室の建物は健在だった。ピアノ教室に通っていたときの道を通って帰った。安永は見かけなかった。
来客があったので土産をいただいたり渡したりしながら飯くったあと、斜め向かいの家の仏壇に線香を上げに行く。
その後再び散歩に出かける。こんどは旧市街方面。
エムラ廃業のうわさを聞いていたが「新年は○日から営業」の貼り紙があったので、営業はしているようだ。
新天町は道幅が広いので銀天街に比べれば小ましに感じる。さらに、年明けであるがために「初売りは○日から」の表示が出されているので、生存確認ができたのも大きい。名曲堂が営業していたのには安心したが、店舗の1/3くらいが婦人向けブティークらしき品揃えになっていたのはどうしたものか。新天町の果てからは、宇部興産方面の煙突がよく見える。町中から煙突が見えるんだな。
ひかり書店は健在(年始は○日から営業」という貼り紙が出ていた)で、市民の少年の7割がある種の出版物に最初に接する場として著名であった支店も、店舗は現存していた。こちらは貼り紙がなかったので、営業しているかどうかは不明。
15年前は近寄らなかった細い路地に足を伸ばすと、頓知のきいた名前の店舗があっておもしろい。モ□イんちは移転したのかどうだかしらんが、別の名前の店になっていた。中央バス停地下の細い地下道を渡る。このあたりで雨が降りだしたのでほぼまっすぐ帰る。宮地公園どうなったのか見たかったのう。
シジュウカラジョウビタキ、モズを見かけましたよ。
明日は早起きして広島経由(これは楽しみ)で川崎に戻る(これはくそ面倒だ)。