お題のありがたさ

zushonos2008-06-23

今日は昨日から続く頭痛のおかげで良いねたが思いつかず困った。
意味不明な事を言うスレと何かを受信、その他ねた写真系のお題を主戦場にしているつもりの私は、わりと必死でねたを考えて投稿している。下手な業務よりもよほど頭を使うので、頭痛はハイクの大敵である。結果、今日はわりと業務がはかどった。
昼休みに、昨日からつづく何にでもアナゴをつけてみるにつづいて、何にでもカツオをつけてみるというお題が比較的活発なのが目に付いた。
この手のお題は、駄洒落を生業(になればいいなあ)としている私には非常に取り組みやすい。頭痛をおしていくつか投稿した。

私にとってのハイクのすばらしさは、駄洒落が容認というよりもおおむね歓迎されているというありさまが一番なのだが、お題(キーワード)の存在も実にありがたい。
駄洒落ではないお題もたくさんあって、それはそれでもちろん楽しいし、いろいろ安心できてありがたい。
そうはいっても私がもっとも恩恵にあずかっているのは駄洒落系のお題である。自分の思考が停止してしまった状態でも、誰かがお題を与えてくれるのだ。そして、お題という制限された条件下で、他のハイカーと切磋琢磨が行われる。先達が作った轍に乗っかるのもよし、それまでにないお題の解釈を提案して新しい潮流を生み出すもよしである。個人的には、頭が働く間は、後者に血道を上げるのをよしとしているぜ。
お題のありがたさを痛感した具体例を挙げてみよう。これは、あわてるな孔明の罠だというお題に投稿して好評を博したのだが、実はそれ以前に別のお題(「非常に残念な間違え方」だったような気もするが失念)に投稿したときは、それほど反響がなかった。
ワンソースマルチユースとか、適材適所ということばを実感できるのである。
そして、このお題は自由に投稿できる。お題を投稿して、自分の土俵で勝負するつもりが、新たな解釈を提案されて感服してしまうことだってあるんだぜ。
ようやく頭痛が和らいできたので、今日はこれからがんばろうかな。