人情待つの

zushonos2008-01-19


今日も元気に勤務だぜ。しかし地上は明るくて気分が良い。もし勤務先が水面下であったなら、おそらく年明けに出勤することはできなかっただろう。
同じく勤務中のまさるさんに、疑問をぶつけてみた。
一定の作業をこなすにあたって、たとえば20の工程があるとする。中学生か高校生のころまでは、その作業を完遂するまでに、メモを取ったりするまでもなく、漏れなく完遂できていたと思う。脳内の作業空間が大きかったとでもいおうか。ところが、ここ数年は、メモをとっても何か漏らしてしまっていることが多いのだ。果たしてこれは、課せられる作業が複雑化してきたのが原因か、それとも人類の成長つうか劣化の証なのか。
まさるさんは「劣化です」と即答した。
「自分もかつては『ミスする大人』が理解できませんでした。集中して作業にあたればミスするはずが無い、どうしてそうなるのだろうと思っていたのです。しかし近年自分も同じ状態になり、理解できました」というのだ。お世辞抜きで(変態ではあるが)優秀な人材であるまさるさんが言うと説得力がある。
今日の作業成果に瑕疵がないことを祈ろう。そういえば、かつては「祈る」という語彙は冗談でしかなかったが、いつしか本気で祈るしかねえなあと思うことが出てきた。