半世紀前

zushonos2007-09-18


先日買った

を読了。
20年ほど前に、本編よりもむしろシャーロッキアーナやパスティシュを夢中で読んだが、本編はろくに読んでいなかったのではないかというくらい新鮮に読めたものの、ずいぶんのどかに感じた。
以下、感想文。固有名詞などは阿部知二訳に合わせた表記ですよ。
ボヘミアの醜聞→馬丁に変装しただけで解決。アイリーネ・アドラーにしてやられたらしいが、大した問題ではないような。
花婿の正体、独身の貴族→やっと「花婿失踪」と「花嫁失踪」の区別がついたぜ。あれ、花嫁失踪ってほかにもあったかいな。
赤髪連盟、まだらの紐→面白い。しかし、さすがにこの2編は内容をよくおぼえていたので、ほかに比べて新鮮味がない。シャーロッキアーナで読んだ「ステッキで叩いても地下の空洞はわからない」「蛇はミルクを飲まない」が想起される。
五個のオレンジの種→「KKKが関係したつまらない話でホームズは何もしなかった」とだけおぼえていた。そのとおりだった。
緑柱石宝冠事件→緑柱石は戻ったとして、宝冠がねじ切れてしまったのは問題ないんじゃろうか。
唇のねじれた男→ネヴィル・セントクレアの変装技術はとてもすごいと思う。

巻末に阿部知二による「コナン・ドイルの生涯」という文章がある。散々読んだシャーロッキアーナに書かれた内容が簡潔にまとまっているなあと感心した。
巻末にはもう一編、中島河太郎による「解説」という文章がある。各編に寸評が与えられているが、これがなかなか素敵。五個のオレンジの種について

当時の読者にはまだ勢力をもっていたのでなまなましい感銘を与えたろうが、今では色あせた感じがしないでもない。おまけにただちに参考資料を引っぱりだす推理もいささかもの足らないし、ホームズの復讐も効を奏さない

おっしゃるとおりだ。結びの文も振るっている。

快刀乱麻を断つホームズの推理に煙に巻かれる形だが、仔細に検討してみれば当てずっぽうに過ぎない分析総合を、思い切って作品の中に採り込んだドイルの慧眼に敬服させられる。

それをおっしゃいますか。

奥付をみると初版は1960年で、半世紀近く前の翻訳と知れる。1971年に新版が出たとなっていて、ここで手が入った可能性は高いが、それにしても40年近く前の文章である。昔読んだ別の訳者の文体も同じような感じだったと記憶しているので、当時の一般的な翻訳文なのかもしれんが、漢字というかひらがなというかの使用基準が素敵で、音読を意識すると唾液が湧いてくる。たとえば「ふーむ、じょうずに立ちまわったらしいな」「まあ、けっきょく、そうかもしれんが」「記事はひじょうに不完全なんだよ」「まちがいなくいえますのは」など。この本には出てこなかったかもしれんが、個人的に最も唾液が湧きやすいのは「れんじゅう」である。

いま新規に翻訳するとどうなるのか心配してしまうせりふ「だがそいつはいざりだ!」「気ちがいがやってくるよ。身うちのものが、あれをひとり歩きさせておくんだとすれば、かなしむべきことじゃないか」なども印象的。

それにしても一番好きな言い回しは「そこの長椅子にかけたまえ」等の「かけたまえ」である。かけたまえ。ああ、かけたまえ。かけたまえ。