これはだめかもわからんね

zushonos2007-09-03


表題はJAL123便のボイスレコーダーに残されていた機長のせりふか何かだったと思う。あの墜落事故当時は故郷で何事もなく暮らし、高校野球宇部商業が活躍するのを喜ぶ一介の小学生であった私は、普段我が家には存在しなかった週刊誌が当時同じ部屋で寝ていた父親の布団の枕元に置かれ、その表紙写真が御巣鷹山の墜落現場の有様だったことで事の重大さが何となくわかったということがあったような気がする。
その後10年経つまで飛行機に乗ることはなく(5年後に自衛隊のヘリに乗ることはあったが)、坂本九のことも知らなかったが、父親が気にしているらしいということで無駄に不安おぼえた気がする。
時は流れてバイクに乗るようになると、なぜか御巣鷹山がある上野村に毎年のように通っているが、集落内にあって比較的たどり着きやすい慰霊碑さえ訪れたことがない。

小学生の時の出来事で、これに匹敵するほど私が不安をおぼえた事件といえば、チェルノブイリ原発事故である。
こちらは家族が気にしている様子は認識できず、どんな事故なのか自分なりに咀嚼できたのはずいぶん後になってからだったが、事故後の5月の連休に、クラスメイトの中で最も社会派であったミヤタツが、担任に対して「連休中に降る雨には事故によって放出された放射能が含まれる可能性があって危険なのではないか」と問うていて、当時その意見を絶対視していた担任の回答が「可能性はあるが大丈夫じゃろ」といった類のもので、絶対安全宣言ではなかったのを見て、わけもわからず漠然と不安になったのだと思う。
当時、放射能による人体への影響に関する知識といえば、裸足のゲンを何冊か読んでいたくらいで、広島・長崎の原爆資料館を訪れるのはまだ先の話だ。これまた後にアニメ映画「風が吹くとき」を観たときに改めてこの事故を思い出し、自宅でできる原子爆弾対策を考えてみたりしたものだ。
時は流れて半端な、あるいは誤った知識が付いてくると「放射能を浴びるとモヒカンになったり巨大化したり死兆星が見えたりする」といった発言を繰り返すようになる。

小学生時代の級友の発言によって不安になった経験で、今でもその焦燥感が思い出される事件がもう一つある。1時間目の授業が始まる前−今考えてみるとおそらく職員会議が行われている時間であったのだろう−に、先生が不在の中、日直(もしくは学習係/あるいは学習委員)の主導で、自習をする「朝学」という時間があった。
当時の私は、学校行事については、体育以外の全てを無難以上にこなしてしまう嫌なやつで、もちろん朝学も軽くこなすのが通例であった。
そんなある日の日直はコバヤンだった。コバヤンはほかの科目はそれほどでもなかったが、算数が大の得意で、たぶん算数に対する理解や愛は私を上回っていたと思う。さらには当時当地にあっては珍しく学習塾に通っていて、授業に先進する知識を得ていたのだ。
そのコバヤンが朝学の課題として出したのは「掛け算の筆算」であった。しかし、私は「掛け算の筆算」の扱い方を知らなかった。
授業を受けていたのに理解していなかったというのは当時の私には有り得ないので、直前の授業を休んだのか、コバヤンによるフライング出題だったのかはわからない。ただ、いずれにしても、私は「わからない」という事実を認めることができなかった。
朝学は以下のように進行した。コバヤンともう一人(女子、誰だか忘れたがこの人も秀才肌だったような気がする)が黒板に問題を書き、挙手した「答えたがり」の人を指名する。指名された人は前に出て問題を解く。それに対してコバヤンともう一人、それから当時は学級内に何人かいた「お勉強が得意な正解言いたがり」が、コバヤンと先を争って正否を告げる。
通常なら私は「答えたがり」「正解言いたがり」に分類されるのだが、この日は「わからない」。「答えたがり」「正解言いたがり」のどちらにも加担できないわけだが、それでも「わからない」と認めることができないため「指名されないように若干遅れて挙手」「基本的にコバヤンの正否判断に追従。あまりに追従するのみでは怪しいので2回くらい異を唱えようとして『やっぱりコバヤンが正しい』と言ってみる」という、極めていじらしいというよりも腹立たしい演技をした。あの演技は周囲の目にはどう映っていたのだろうか。
時は流れて学校の授業でも理解できないことが多くなってくると、知ったかぶりをしても仕方が無いとようやく悟り、知らんことは知らんと素直に言えるようになった。が、取り繕うために知識を蓄えようという意欲もなくなったので、結果的に良かったのかどうかはわからん。

で、これはだめかもわからんねと思ったのは、徳島に行くフェリーの中で、年に1回しか使わない、高知市内の漫画喫茶の会員証を忘れたことに気づいたことに端を発する忘れ物の連発である。
会員証は、漫画喫茶の受付で事情を告げると、名前と電話番号で会員情報を検索してくれて、会員証持参と同様に取り計らってもらえたので、事なきを得た。実は数年前にも会員証を忘れて、その際は会員証を忘れた事実を告げるのがはばかられて再入会したので、長足の進歩である。
2つ目の忘れ物は、その2日後、高知の土産を持って嫁実家に行こうという計画が浮上し、その他にもいろいろ持参するものを準備していたら、肝心の土産を忘れたことに嫁実家に上がってから気づいた。幸いそれほど遠くないので、すぐに荷物を取りに戻って事なきを得た。
3つ目の忘れ物は、本日の出来事だ。先週末から、自分のバイクは会社の駐車場に止めて、借りたバイクを高知に運んだ。ヘルメットやグローブは自前のものを使った。運んだバイクは高知にあずけたまま、帰りは飛行機で自宅に戻ったので、今日はヘルメットを持って満員電車に乗り出社。業務を終えたあと、自分のバイクを回収して帰宅するはずだったが、自分のバイクのキーを自宅に忘れてきたことに気づいたのは、朝の満員電車を乗り切った後だった。終業後、キーを取るためだけに電車で往復し、事なきを得た。
次は何を忘れようかなあ。