衝撃のないクエスチョン

大学生の頃、眠れぬ夜に、自転車で新宿区の自宅アパート近くを走っていたら、ポリスに呼び止められた。今では夜間に無灯火の自転車を見かけるたびに殺意を燃やす私であるが、当時は無灯火による被視認性の圧倒的不利について一顧だにしたことがなく、そもそも自転車に灯火類を一切取り付けずに走っており、それは道路交通法違反であるからして、呼び止められるのもやむなしであった。ついでに当時の自分を振り返ると、18歳の時に街頭で「20代の方にアンケートです」と呼び止められた無精髭全開の風貌、部屋着に使っていた作務衣の上下を着用、予算の都合で選択肢が無かったため、体格に比して小さすぎる自転車など、呼び止めたくなる要素は他にもいろいろあったのかもしれない。
無灯火は注意で許してもらったが、続いて職務質問を受ける。当時は運転免許を持っていなかったので、財布に入れていた学生証を提示したかもしれない。住所や身分を明らかにしたところで、自転車の出所を質される。
この自転車は、当時のアルバイト先の秋葉原で、自転車を置いている店を見つけて購入したものだった。前述のように予算の都合で小さめの安物マウンテンバイクを買ったのだが、自転車店にて、防犯登録は強制ですからと言われ、所轄の万世橋警察署の文字が入ったシールを購入、貼付された。
「流れよ我が涙」もとい「防犯登録はしていますか」と、警官は言った。「はい、もちろんです」と私は答える。それに前後して防犯登録シールをライトで照らす警官。続いての質問は「ではこのあたりの警察署で防犯登録されたのですね」というものだった。
はっきり覚えていないが、「このあたりの警察署」はおそらく牛込警察署で、万世橋警察署ではない。警官は、防犯登録のシールに記された文字を確認したあとで、あえてこの質問をしてきたのである。
当時は自分の道路交通法違反やその他に気づいていなかった私は、そもそも声をかけられたことに対して不当に思っていたので、彼らの発言に対して神経を尖らせていたため、このいやらしい誘導尋問に気づき「アルバイト先の近くの自転車屋で買ったので、そのあたりの警察署で防犯登録してあるはずです」と即答した。まあしかし仮にここで何も気にしないで「このあたりの警察署」に同意し、余計な疑念を持たれたとしても、防犯登録と身分証の住所氏名は一致するわけで、誘導尋問は被害妄想じゃろうなあとも思うが、誘導尋問のほうが面白いのでそう思うようにしている。
思い返してみれば、無灯火によるキャプチュードバイポリスはこれに前後して、少なくともあと一度経験しており、まったく反省していなかったわけであるが、そんな私が今や交友のある範囲内では無灯火批判の急先鋒(というより表立って目くじら立てる奇特な人はいない)となった有様は、転向作家のごとしである。

そんな過去を持つ私は職務質問に対して良い印象がなかったのだが、職務質問がきっかけで、50年前に家出した人が実家に戻ったというニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070331-00000082-mai-sociを読み、職務質問もたまには良いものだと思った。
50年間の家出というのよほどの理由なのだろうなあと、総じて大したできごとも栄光も挫折もなく平穏無事でつまらない生活を送ってきた私は思ったものだが、このニュースの中で最も心に沁みたのは下記に引用した部分である。
《(無職の男性(68)に対し)大畑武史巡査部長(48)と中村真章巡査長(26)が声をかけた。男性が名乗った氏名は警察の家出人届に登録されていることが分かり、大畑巡査部長が神奈川県に住む弟に電話で連絡。「いろいろあったと思うが、50年間罪も犯さず頑張ってきたじゃないか。今会わなかったら一生会えないかもしれない」と男性を説得した。》
48歳の人が、いや、もしかしたら26歳の人が「50年間頑張ってきたじゃないか」と諭したのである。なんだか説得力が無いような気もするが、かっこいい。