しらねえよ

先日は5年ぶりにバイクのクラブの友人と会った。同い年のその男は、1年ほど前に独立したばかりのカメラマンで、また、去年第一子が生まれたばかりでもあった。5年前というのは先方がバイクで事故に遭って入院していたときで、私の勤務地(当時は地上であった)からほど近い病院でもあったので、見舞いに行って以来である。
互いに東京周辺に住んでおり、また、仕事の上でも、もしかしたら関わることがあるかもしれないと思ったりしながら、なんだか会う機会がなかった。
そんな中、コンピュータネットワーク上の某所で再会。互いの書いたテキストなどを読み、実際に会って昔話でもしようということになった。
30歳のおっさん2名が再会の場所に選んだのは東京都内幹線道路沿いのファミリーレストラン。19時に待ち合わせて合流。5年ぶりに会った第一印象は「変わらず良い男だが若干老けたか。いや考えてみたらお互い当時から老け顔だったか」というもの。まあ大きく変わった印象はなく、割と速やかに食事に突入。
午前2時までの実に7時間、思い出話や近況報告に花が咲いた。独立したことで、楽ではないが楽しく、やりがいがあるといった先方の話に羨望。また会いましょう。

別の日に、10年ぶりに故郷での先達に会った。一歳年上のその男は、1年ほど前に転職したばかりのコンピュータミュージック関係者で、また、転職に伴って横浜に引っ越したばかりでもあった。10年前というのは、私たちが故郷を離れて東京で暮らし始めて間もないころで、先方が住んでいた大塚に会いに行って以来である。
互いに東京周辺に住んでいるのだろうなあと思ったりしながら、なんとなく音信不通になっていた。
そんな中、コンピュータネットワーク上の某所で再会。互いの書いたテキストなどを読み、実際に会って昔話でもしようということになった。
30と31のおっさん2名が再会の場所に選んだのは川崎駅。互いの住居の中間地点であったという単純な理由だ。11時30分に待ち合わせたが、私が30分遅刻。10年ぶりに会った第一印象は「大して変わらんなあ」というもの。割と速やかに食物屋に移動しようということになる。
開業して間もない再開発地域の商業施設に向かって歩きながら、近況を報告。就職してからやりとりするのは初めてだったので、いま何をやっているかという話や、互いの業務で経験した話、故郷に対する思いを語り合った。
商業施設の食物屋は混雑し料金もお高いものであったため、そこを出て開発を免れたような地域の中華料理屋で昼飯を食ったあと、商業施設のキャフェーに戻って居座る。
先方の日常の過ごし方から、いつか話題はunknownと似てはいるがまったく違うunkomanが中心となり、小学校時代に思いを馳せることになった。私どもは違う小学校に通っていたし学年も違うのだが、今にして思えば終末感漂う「終わりの会」の話題は大変な盛り上がりを見せた。これを読んでいるみんな、wikiで終わりの会ロールプレイやろうぜ。
午後6時までの実に6時間、思い出や反体制や小学校についての話題に花が咲いた。あまり羨望はなかったが、おもしろかった。また会いましょう。

水面下の業務に関わること以外のできごとはなかなか忘れない私であるが、5年、10年ぶりに話をすると、やはり忘れていた記憶も多く、それが甦るのも実に楽しい。相手や自分の成長、劣化、変化、諦めといった有様は楽しく羨ましく哀しい。

あいつやあいつ、あの人にも会いたくなってきた。皆健やかに過ごしているのだろうか。再会できたら、きっといろいろなものが甦るのだろう。自宅近所では、全体主義が復活しているようだった。