アイムホームヘルメット

zushonos2006-09-28

木賊キャンプの朝はこれまた快晴。私はテント泊すると早朝に起きることが多いが、今回はちょっと遅くまで寝て、8時前くらいに起き出す。他の人も同じくらいに起き出して朝飯。起きた直後はまだ太陽が山の陰にあって少々肌寒かったが、日が高く上ると暖かい。
大笹牧場で買っておいたソーセージやチーズを投入したスープと玉子焼きを作って食う。ほかにもスイスロールを食ったりバナナを食ったり首を吊ったりスイスロールやバナナをくわえながらロープにぶら下がって移動したりバナナをさまざまに配置してかっこいい写真を撮ったりした。嫁と姐さんの仲良しぶりに嫉妬。
収納し終わったつもりがフライシートがまるまる残っているのに気づくなど、大テントの撤収にやや手間取り、11時前にキャンプ場を出発。優雅なものだ。この日は桧枝岐を抜け、今年からバイクも通行できるようになったR352を走り、一応奥只見ダム銀山平を見てから枝折峠を越えて小出に抜ける計画。
昨日の夜走った林道を今度は走りきって桧枝岐に抜ける。ガソリンスタンドでビラーゴが給油。シルビアはガソリンたっぷり、SX4は残量計が半分を割っていたが、平均燃費計が示している数字で計算すると、小出まで楽に走れそうだったので給油せずに先に進む。
少し行ったところにある、桧枝岐唯一の散髪屋「アサヒ理容所」にお土産を置きに行く。去年の2月にここで散髪してもらった際、他所から来たそこそこ若い夫婦が珍しかったのか、裏に通してもらい、土地の料理をご馳走になったお礼である。
理容師は小柄なばあちゃんだが、いつも長距離を散歩しているという健脚の持ち主。旦那さんのじいちゃんは(おそらく)これぞ会津っぽという感じ。
去年は、散髪の後で、だるまストーブが掘りごたつ的に配置してある畳の部屋に通してもらい、友達らしいもう一人のばあちゃんと一緒に昼飯をご馳走になった。
その際いろいろと話をした中で、触れてみたいような避けていたいような話題があった。しかし、定番の「どこから来たのか」という話の延長で、ついに、まずは嫁の出身地にまつわる話が始まってしまった。嫁の両親は鶴岡と仙台にルーツがあり、今でも仙台によく出かけるので、東北には馴染みがある、といった話をした。じいちゃんばあちゃん喜ぶ。そうなると次の話題は「ならば旦那(つまり私)の出身はどこなのか」となるのは必定。10年近く木賊に通っているとはいえ、いつもキャンプで、昼間はほとんど走りっぱなし。土地の人とじっくり話をしたのはこのときが初めてだった。ついにこのときが来た。期待と不安が半ばした。
「(謝る必要はないというかどうしようもないのだが)すみません、山口県の出身です」という私の答えを聞いて、じいちゃんは一瞬引きつった表情を浮かべて動きを止めた。
わずかに間があって、それを見たばあちゃん二人が「そうは言ってもねえ」てな感じで沈黙を破ってくれた。それを聞いたじいちゃんも、やや固さは残るものの、緊張を解いてくれた。実際のところは聞いてみないとわからないが、じいちゃんにしても、本気で「長州野郎ぶっ○○す」などと思っているわけではなく、会津っぽとしてとるべき態度として身に着けてきた様式を発露したといった有様であったのだと思う。思いたい。いずれにしても、幕末からの因縁恐るべしということを初めて体感した、感動の瞬間であった。
その後は会津長州問題に触れることなく、桧枝岐の自然や生活について聞かせてもらい、毎年近くに来るのでこちらにも顔を出しますと告げて退出した。
そんなアサヒ理容所を1年半ぶりに再訪。最初にじいちゃんが出てきてくれて、おそらく快く迎えてくれた。ばあちゃんは外にいたが、じいちゃんが呼ぶと、やって来てくれて、再訪を喜んでくれた。お土産を渡すと「茶でも飲んで行け」という話になったが、今回は同行者がいて先を急ぐのでと辞退し、再々訪を約束。見送られながら、奥只見を目指して出発。
一本道なので、銀山平で合流することにして、一行の中で最速に違いないシルビアに先に行ってもらい、SX4とビラーゴは後からついていく。シルビアはすぐに見えなくなった。速い。狭い。山からダムに向かって水が流れ、道路を横断する箇所が多数あったが、その都度二輪に向けた警告の標識が設置されていた。アップダウンが激しく道は狭く、いまのところもう四輪で走りたいとは思えないがバイクで一度走ってみたい。ビラーゴ兄さんは2週間前に自転車でこの道を走破したというから変態である。散髪屋を出てしばらく進むとSX4の燃料警告等が点灯し始めた。平均燃費計と考え合わせるとあと10L、100kmは走行可能なのだが、少々びびりながら行くことになった。
銀山平の船着場で合流、ビラーゴ兄さんは駐車場にバイクを置き、シルビアに同乗して奥只見ダムに行く。トンネルが続くシルバーラインは依然二輪車通行禁止なのである。やっと山の上に雲がかかり始めたが、雨が降りそうな気配はまったくない。
被写体、それを撮影する人、さらにそれを撮影する人の写真を撮ったりした。織田裕二のサインを眺めていたら売店のおっちゃんに話を聞かされたりした。いまひとつ心に響く飯がなかったので、小出に抜けてから昼飯を食うことにする。
銀山平のコテージ群に立ち寄ってから枝折峠に向かう。峠にはたくさん車が止まっていて落ち着かない。峠を下る途中では何者かが崖下に転落したらしく、消防隊員や警察官が下を覗き込んだり長いロープを垂らしたりしていた。
峠を下って湯之谷温泉の散髪屋に、これまた土産を持って行く。2年前に散髪して、帰りにコーヒーか何かを土産にもらい、また、丁寧に地図を描いて日帰り温泉を紹介してくれたのだ。
理容師のばあちゃんはすぐに我々を思い出してくれて「あのときの地図(ばあちゃんの旦那が描いてくれた)わかりにくくなかったかい」てなことを心配してくれた。土産を渡すと「じゃあこちらもお土産を」と言って、みょうが、菜っ葉、茹でた枝豆、かっぱえびせんを持たせてくれた。ここでもゆっくりしていけといわれたが、やはり同行者がいて先を急ぐのでと告げて再々訪を約束して退出。散髪屋は良いなあ。
小出の道の駅に着いたのは15時で、昼飯を食おうと思っていたが食堂はすでに営業終了。みやげを買って近所のラーメン屋で昼飯。ラーメン+カツ丼orイクラ丼or親子丼という、私の目には新鮮な組み合わせの定食が設定されていたのが印象的。
ガソリン残量計はすでに「E」すらも下回っていたが、高速に乗る直前に給油した際は、タンク容量45Lに対し、43Lしか入らなかった。平均燃費計はこれまで最大の1km/L近い誤差があったが、念のためそのくらいの数値で計算していたので、はずしてはいなかった。
インターチェンジ近くのパチンコ屋「USA」の看板を遠目に発見した際、我々の車中では、銀山平からの話題を受けて、別業種の店だと決め付けた話題が盛んになったりしたが、思い出して反省。
関越道の渋滞は覚悟していたほどのものではなく、同乗の姐さんをお宅近くで降ろし、はっこちゃんの家にお土産をもらいに立ち寄ってから帰宅したのは21時。姐さん宅近くを経由した関係で、環八ではなく環七で南下したのだが、まったく渋滞がなく快適だった。
ビラーゴ兄さんは警察のやっかいになったそうだが、全員事故なく帰宅。皆様楽しんでいただけたようで、おおむね成功したキャンプツーリングでありましたよ。
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