パートタイムリスペクト

zushonos2006-09-18

先日、水面下で、散髪屋→田代まさしリーブ21ヴァーナルアスカコーポレーションあすかあきお、といった流れで著名な事象が取り上げられることがあった。
あすかあきおが胡散臭い(私はこれを褒めことばとして使いますよ念のため)というのは衆目の一致するところであろう。それ故に根強いファンも無数におり、もちろん私もその一人だ。年末に我が故郷で開催される集会に於いて、ほぼ初対面であった姉旦那と私の高校時代の知人が、あすかあきおの話題ですぐに意気投合していたのを見て、世界中があすかあきおファンになれば、宗教対立もなくなるのになあとは思わなかったつうか宗教的には多分ちょっとあれです。
水面下でのやりとりでは、先方があすかあきおをご存知なかった(「サイエンスエンターテイナーです」と説明しておいた)のだが、しかし「あきおという名前が胡散臭い」と、そのにおいを感じ取っておられた。
憧れの対象(例:大塚明夫)や、私と直接関わりがあった人々にもあきおは複数いるが、随一の胡散臭さを誇るのは、高校のときの担任で世界史教師の明生である。明生は当時たぶん40歳代半ばで、中肉中背。頭髪はリーブ21を紹介したくなるような具合だったが、上品な顔立ちではあったと思う。よく汗をかいており、常にタオルが手放せない様子であった。同級生の電車さん(綾小路きみまろおよび牧瀬理穂似。常に顔色が悪く、当時の呼び名はペイル。学年集会時、明生に「お前顔色悪いけど大丈夫か」と心配された場面に居合わせた私が思わず笑ったところ、明生は「人が心配しよるのに笑うな」と怒った)もやはりタオルが手放せない人物で、私はこれを「明生スタイル」と呼んだ。
明生については、ほかにも貼るべきレッテル(というのはなんだか昭和っぽいね。会話で使ったことがある方はいらっしゃいますか)は多数あると思うのだが、どういうわけか「京都大学出身の婿養子」というキャッチフレイズが流布しており、また、その裏づけを取ったという話は聞いたことがない。
そんな明生の胡散臭さは「前言撤回」と「マジック」に象徴される。
前者は、世界史の授業で、発したことばを直後に訂正する行為である。特に多かったのが、ある女性−たとえばエリザベス女王−について説明するとき、必ず「彼、もとい彼女は英国王室でどうのこうの」と、前言を撤回するのだ。最初は、わざとそうすることで、当該人物の男女の別を強く印象付けようとでもしているのかと思ったが、自然体でそうなっていたようだ。「もとい」を口語で連発する人も初めて見た。
後者は、磁石のことを指して「マジック」と呼ぶ行為である。当時の教室には、前方に大黒板(2枚が上下にスライドして広く使える)、後方に小黒板(大黒板1枚のさらに半分程度の面積)があり、黒板周りの道具は比較的自由に教室の前後を移動していた。たとえば授業中に白チョークが切れたとすると、教師は後方に座っている生徒に向かって「白チョーク取ってくれ」と呼びかけるようなことが多かった。そんな中、黒板に掲示物を貼り付けようとした明生は、磁石が前方黒板に無く、後方黒板に余っていることに気づいた。後方黒板近くの座席のミハラヨッシイに対して、明生が発したせりふは「すまんけどそこのマジック取ってくれ」。ホワイトボードではないので、マジックと呼べるような代物は黒板周りにはない。しかし、明生が手に抱えた紙を掲示したがっているのは伝わってくる。そこそこ勉強はできるやつらが多い学校だったのが幸いしたのか、「MAGIC」<->「MAGNET」の変換は大半の生徒が違和感を覚えながらも完遂できたようで、ミハラヨッシイは磁石を手に取り、明生に手渡した。明生は「おお、すまんやったの」とねぎらった。こんな出来事が何度も続いたある日、ミハラヨッシイはついに「先生、これはマグネットであってマジックではありませんよ」と進言した。明生は「おお、すまんやったの」と謝った。後日、明生はミハラヨッシイに対し、またぞろ「すまんけどそこのマジック取ってくれ」と言っていた。生徒一同は明生を矯正する努力を放棄し、この事象を「アキオマジック」と呼び習わした。
ついでにもうひとつ、明生は、私の感覚でいえば「疑わしい」と言いたくなるところを必ず「いかがわしい」と言っていた。辞書によれば「いかがわしい」は「正体がはっきりしない。疑わしい。怪しい。信用ができない」「風紀上よろしくない。好ましくない」ということになっていて、用法には何ら問題ないのだろうが、私は「いかがわしい」と聞くとどうしても後者の印象を受けるのである。明生以外に前者の意味で使う人を見たことがないと思っていたら、あすかあきおをご存知なかった人が前者の意味で「いかがわしい」を使っているのを聞いて驚いた。つうか正直申し上げますと「いかがわしい=疑わしい」を誤用と思っていたのでこのとき調べて自分の思い違いに気づきました。あと最近気づいた思い違いは「塀内」夏子を「堀内」だと思っていたことです。
そんな明生に対する生徒からの評価はまさしく「微妙」であったと思われる。頼りないというわけではないが頼りきれない。外見は前述のように顔立ちは悪くないが汗かきで、頭髪はやや寂しい。不思議な日本語の危うさも手伝って、チャーミングではあったと思う。一言で著すと「憎めないやつ」という感じで、教師に対する評価ではない。面と向かって話すときは皆「○○先生」と苗字で呼んでいたが、生徒間での会話では「明生さん」か「明生」であった。
中学1年までの担任は、もちろんその人自体も優れていたのだと思うし、こちらの心構えが「先生は絶対です」というものであったから、素直に尊敬していた。特に小学校5,6年時の担任は実に魅力的な人で、また当時相当に「一人称:俺様」が似合っていた(実際には使わんかったよ)私の性格を矯正するきっかけを作っていただいた恩師である。今思うと、わりと暴言風味の発言も多かったが、そうでもないと私やその他の俺様は増長するばかりであったろうなあ。小学生当時から「お師匠」と勝手に呼ばせていただいており、生涯尊敬の念が揺るがないであろう人物の一人だ。
で、私にとって「先生マンセー」が崩れるきっかけは、中学2年のときの担任が、実に多くの生徒に軽んじられていたことだ。当時の中学校は、壁は穴だらけ、時折校庭をタンデムの原付が走り回る、運動会にはよく日に焼けた迷彩服着用のおっさんがやってきて校庭の隅で懸垂をして去っていくなど、いささか緊迫した情勢であったのは確かだ。また、その担任は半端に若く、年配者の風格もなければ、大学卒業したての若さもなかった。さらに、担当教科が技術科で、一週間の中で生徒と接する時間が少ないことが担任の不利に働いたのも事実であろう。ともかく先生を尊敬する必要はないこと、また実際のところ尊敬に値しない人物も多いことに気づいた。
高校になるとこちらはもう最初から尊敬する気などなく、また教師の側も、自分の担当教科や趣味さえ遂行できれば満足で、尊敬されるつもりはさらさらないようにも見受けられた。そんな中でも、多少の尊敬と親しみを持てた教師に対しては、さまざまな愛称をつけて陰口をたたいたものだ。
「ジェームス(三木に風体が似ている音楽教師)」「なぎら(健一に風体が似ている美術教師)」「肌色ヘルメット(残存頭髪がヘルメットの縁のようになっている)」「キモ小(肝が小さい)」「なるほど(『なるほどなるほど』が口癖だった。ほかに『(生徒の答案を採用する際)もらいます』『がんばりましょう/がんばってください』など。禿げ上がり具合が見事だったので、がんばると禿げるとうわさされた)」「非常識講師(御年70歳くらいの体育の非常勤講師であったが、跳び箱の上をハンドスプリングで前転してみせるなど、人智を超える体力を誇った。好きな歌は同期の桜)」など。