押忍-第一章

1月の話を書く。日記というより回顧録だ。

建前上、完全週休2日(土日休み)の会社で働いているが、ここ数年、年末から2月くらいまではなかなか休めない。自分の担当している商品の作業量が多く、他の人の助けを借りることになる。今回の助っ人は、新人のスーズィーだ。

自分の至らなさから、1月のある土曜日、助っ人スーズィーにまで休日出勤を願うことになった。この会社では、休日出勤時はバイクや車での通勤がなんとなく認められているようで、私もこの日はジムニーで出勤した。

正月休みに長距離を走って以来、休日出勤専用になっていたが、片道23kmの通勤路を往復していると、ガソリンの消費もわりと多く、この日は家を出たときから残量が気になっていた。

仕事は順風満帆とはいかなかったが、スーズィーの活躍もあり、22時頃にはなんとか片付いた。スーズィーは電車で出勤してきていた。会社から駅は遠く、またスーズィー宅までは電車の乗り換えが何度かある。感謝もこめて、ジムニーで途中の駅まで送ることにした。この駅を回ると、自宅までは3km程度の遠回りになる。ガソリンの残量が気になってはいたが、走行距離と燃費を計算し、問題にはならないだろうと判断した。

計算どおり、スーズィーを途中の駅まで送り届けた後、無事自宅に戻ることができた。帰りに給油しておこうかと思ったが、いつもと違う帰り道で、行きつけのセルフのGS(地域最安値でもある)の近くを通らなかったため、翌日給油することにした。

翌日の朝、若干体調が悪く、熱っぽかったが、嫁とともに、ジムニーで出かけることになった。自宅から1kmほどのところにある行きつけのGSを経由していく予定で、嫁にもそう告げた。

GSは、自宅から、大通り(といっても片側1車線)を100mほど右に進み、別の大通り(これも片側1車線)との交差点を左折し、あとは1kmほど直進すると、道沿いの左手にある。ちなみに前日の夜は、最初の大通りを自宅から見て左方向から帰ってきたのだ。

少し咳をしたりしながら、ジムニーを運転し、最初の大通りを右へ、交差点を左へと進んだ。日曜日のこの時間は、わりと交通量が多く、GSまでの1kmの間にある3箇所の信号にいちいちひっかかることが多い。この日もその例に漏れず、最初の信号にひっかかった。

信号待ちのとき、エンストした。オートマチックなので、クラッチワーク失敗とか、そういった理由ではない。これまでにない症状だ。おや、と思ったが、キーを回してエンジンをスタートすると、エンジンがかかったので、信号が青に変わったのを見て発進した。

2〜300mほど進んだだろうか。アクセルを踏んでも回転があがらなくなり、再びエンストした。回転があがらなくなったあたりでようやく思い当たった。バイクでこれまでに何度か経験した感覚。ガス欠だ。

ハザードランプを点けて路肩に止める。再度エンジンスタートを試みるが、予想通り、かからない。車をGSまで押すか、車はこの場に置いて、GSまで歩いていき、ガソリンを買ってくるか協議した。不幸中の幸いで、GSまでの道は平坦だ。行きつけのGSが前方に小さく見える。歩いていって引き返すのも悔しいので、押すことにした。

道路はゆるやかにカーブしており、またいくつか交差点があるため、一人はハンドルを握り、一人が押すのが望ましい。嫁の体格はたくましいほうだと思うが、それでも私のほうがいくらか頑丈だ。私が押すと申し出たが、嫁は車の運転ができないことを理由に、また私の体調不良を鑑みてくれたのか、自分が押すという。まずは嫁が押すことになった。

片側一車線で比較的交通量が多い中を歩く速さ以下で進むというのはなかなか恐ろしい。対向車線にはみ出しながらぎりぎりで追い越していく車も、対向車も、迷惑そうな視線をこちらに投げているように思えてならない。運転席の私がそうなのだから、外で押す嫁はもっと恐ろしいだろう。GSまで1/5くらい進んだところで、いったん交代した。しかし、少し進んだところで、やはりハンドルやブレーキの感覚がわからないということで再度交代。

小雨も降ってきて、なかなか辛い。エンジンさえかかれば1分とかからないGSが実に遠い。車の視線は相変わらず冷たいように思える。そんな中、ジムニーのすぐ後ろに見慣れた運送会社のトラックが写って、ハザードランプを点けて停まった。また渋滞の要素を増やすのかと、一瞬敵意を覚えたところ、助手席から一人降りてきた兄さんが、ジムニーを押すのを手伝ってくれた。トラックの方はハザードをつけたままジムニーが進むのにあわせてゆっくりと進み、盾になってくれたので、安心して進むことができるようになった。敵意を覚えたことを猛烈に恥じた。嫁が「ありがとうございます」と兄さんに感謝を述べたのが聞こえた。私も運転席から後ろを振り向いて感謝を述べたと思う。

運送会社の兄さんはさすがに力強く、ジムニーの速度は倍以上になったのではないだろうか。GSがどんどん近づいてきた。GSまであと少しというところで、兄さんが嫁に「ハンドルは大丈夫ですか」とたずねるのが聞こえた。どうやらさきほどの私の感謝のことばは兄さんに届いておらず、兄さんは嫁が一人で押していると思い込んでいたらしい。あらためて窓から顔を出して礼を言い、トラックが立ち去るまで見送った。いろいろと気まずい。

給油しながら、いろいろな思いがぐるぐると渦巻いた。スーズィーを送らなければガス欠しなかったのではないか、いやしかし送るくらいの礼はして当然だった。帰りに給油しておけばよかった。しかしいつものGSが最安値なのだ。燃費の計算が甘かったのではないか。確かに冬期の街乗りと悪条件は重なったが、読み違いというほどではなかろう。歩いてガソリンを買いにいくべきではなかったか。いやいや、非常事態とはいえ路上駐車になってしまう。自分が押すべきではなかったか。確かにそうだが男が押していたら運送会社の兄さんに助けてもらえなかったかもしれないと邪推された。

押して忍ぶ一日だった。



2004年夏、男鹿半島にて。うちのジムニーと知らん人のランサー