はや幾年

zushonos2010-01-07

小中学校の同級生に「マーシャル」というあだ名の男がいた。年少の頃、同じクラスだったことがあるが、当時は別の呼び名で呼んでいたと思う。クラスが分かれ、比較的疎遠になってから、彼がマーシャルと呼ばれているのを耳にして、強く印象に残った。
マーシャルアーツの使い手ではなかったはずだし、マーシャル諸島帰りというわけでもなかったはずだ。もしかしたら、親がコマーシャルに携わる仕事をしていて、その子だから...とするとココマーシャルだし、そのような職業が成立しにくい地域だったし、数年後には勇という名前の同級生に対して「いさむ→いちゃむ→ペディグリイチャム→(イニシャルをとって)ピー」と、面倒な変遷をするあだ名や、交友関係の中で最も男らしい男を「ラルフ(・マッチオ≒マッチョ)」というあだ名を使いこなすことになる我々ではあるが、当時はそんな複雑な構造のあだ名を考えるような知恵はなかっただろうし。
マーシャルの苗字は、どこかの県庁所在地と同じで、特段珍しいものではなかった。下の名前は、和風で、かつ、悪くいえばありきたりのもので、これまでに同じ名前の男を10人以上見たことがあると思う。
マーシャルがマーシャルになったころ、マーシャルとそれほど親しくはなかった私は、そのあだ名の由来を知りたいと思いながらも、本人に尋ねるのが憚られたので、マーシャルと仲が良さそうで、かつ、私との仲もそれほど悪くはない(と私は思っていた)ピカソ(これもあだ名で、凡人には理解しがたい芸術性の持ち主だったことに由来)に尋ねてみたところ、どうやらピカソは知っているようだったのだが、はぐらかされて、教えてもらえなかったように記憶している。
今思えば、そのころまで私は比較的自分中心でことを進めてきて、またそれが通用していた時代の末期であったようだ。マーシャルの由来を知りたいのはやまやまだったが、たったそれだけのことが思い通りにいかないくらいで感情を露わにするのもあれでそれだと感じられたため、当時自分ではストイシズムと呼び習わすことにしていたやせ我慢を動員し、先方に教えてくれる気が無いのなら知りたくもないわという風を取り繕った。
以来、実に20年が経過した。5年に1回くらい、マーシャルの謎に思いを馳せる機会があったような気がする。中学生以前の過去を振り返ってばかりいる俺様においては、5年に1回というのはむしろ頻度が低いほうだ。
今日はその5年に一度の日だった。モーターサイクルを運転している途中、突如、思い出し、また、思いついた。
マーシャルの名前は、たしか「まさひろ」だった。「ましゃひろ→まーしゃ(ひ)ろ→マーシャル」なんじゃねえか。いや、それに違いない。「まさる」とか「まさはる」だったらもっと早く気づいただろうに、味なまねをしやがるぜ。
20年来の疑問が氷解するなんてえことは、少なくとも20年生きていないと味わえないんだぜ。ああすっきりした。
正解かどうかはわからんけど。