夜の間に築いたあの国への道が

zushonos2007-11-05

(ずいぶん前の続き)
鈴鹿で友人と会食。なんたらカツ定食を食った。10年前ならここで必ず勝津正男という名前を出すところだが、すっかり失念していた。いつもと大差ない話は大差ない展開に終始した。今年は、姉と、この友人と会う回数が多い。2,3週間前に彼と会ったときに「X-GAMEのコリン・マクレーの走りがとても素敵で笑えた」という話をしたのだが、そのすぐ後にマクレーが事故死してしまって残念だという話もあった。
飯を食い終わったときは日付が変わっていた。当初は鈴鹿市内のビジネスホテルに泊まろうと思っていたのだが、途中から漫画喫茶狙いに切り替えた。自宅近所の行きつけ漫画喫茶のチェーン店が津市内にあったのでリクライニングシート席で宿泊。せっかくなので漫画を読もうと思ったが睡魔に勝てずすぐに眠る。
午前7時過ぎに起床。乾燥していたのか、やや喉が痛かったが、ほかは問題なし。少し漫画を読もうと書架を物色。なんとなく避けていたベルセルクを手にとってしまい、面白かったので後悔する。日を改めてまとめ読みの必要が生じてしまった。利用料金は2000円ほどで、これなら安い。
鳥羽-伊良湖間のフェリーは往復割引券を購入していたので、復路も鳥羽経由だ。漫画喫茶を出発して鳥羽を目指す。晴れ。フェリーの時刻が半端だったので、鳥羽市内の喫茶店で朝食を食った。サンドイッチは量が多くて大変。喫茶店では三丁目の夕日の単行本があったのでこれまた初めて読んだ。書架が階段の途中にあり、本を取り出す際に足を踏み外して膝を痛める。
フェリーターミナルではまだ赤福が売られていたような気がする。フェリー乗船中は睡眠。渥美半島は北側の道を走ってみる。「めっくんはうす」の由来を知り愕然。昼飯食う。肉うどんだけにすれば良かったが、ミニソースカツ丼も食ってしまい、腹いっぱい。
静岡在住の友人と茶でも飲もうということになったので、渥美半島を出たあとは、国道1号で静岡に向かう。途中でとてつもなく眠くなったが、国道バイパスの自動車専用道路で、不用意に止まれず困る。ガソリンも心配になったが給油できず困る。なんとか給油したときはまた14L以上入った。今回はなにかとぎりぎりだ。
最近民営化された某社に勤務している静岡の友人と、近所のみかん山やら薩た峠やらに登っていつもと大差ない話をする。今年はこの友人と会う回数も多い。高校生のとき、大阪豆ゴハンの影響でWRCに興味を持った私にいろいろ教えてくれのがこの友人で、しかも彼はモータースポーツまたは宇宙開発における殉死者の話が大好きなので、ここでもマクレーの事故死が話題になった。ずいぶん前にカーメン・マクレーの死亡記事が新聞に掲載された折「C.マクレーさん死去」という見出しを見てぬか驚きした彼は、今回はしっかり驚かされたという。
今年はオートバイレーサーがサーキット走行中に亡くなる例が続いていて、それに対して阿部典史がコラムで「サーキットでの安全性向上を」てな内容をよく書いているという話題もあった。阿部典史は私の一歳年上、友人と同い年で、勝手に親しみを感じてよく話題にしていたのだ。帰宅してラジオを聴いていて、ちょうどそんな話をしていた時間帯に、川崎市内で死亡事故が起きていたことを知った。
静岡以降もすべて一般道を走って帰宅。まともに宿泊もせず2日でこれだけ走ったのは久しぶりだ。ただ走っただけでなく、散髪もして、友人2名と喋って、なかなか充実していたような気がする。ちょっと元気が出てきた。
(この散髪話終了)