給料がとても減る


チョウゲンボウ
まあかわいらしい。

15年ほど前、故郷の山口県宇部市をほとんど出たことがなく、当時から若向けのテレビ・ラジオ番組を避けていた私が、「超むかつく」という言い回しを初めて認識したのはこの人フルハウスでのせりふだった(吹き替えは水谷優子(記憶違いだった)大谷育江だったが)。
後に大学生になって東京で暮らし始めた折、周囲の若人が「超なんとか」を連発するような時勢であって、これが耳障りで仕方が無く、その他もろもろの理由もあって他人とのコミュニケイション不全が続いたことを思い出す。
「超なんとか」はいまでは下火になった感があってほっとしているが、同様に耳障りな「すご"い"+むかつく(に限らず用言)」は一向に衰える気配はなく、むしろ誰も気にしなくなってきているように思う。私が学校で習った文法にあっては、用言の頭に付く場合の活用は「すご"く"」であろう。「すご"い"」が頭に付くのは体言じゃ。多分ね。
周囲が皆横書きなのに気づいて、自分は縦書きするようにしたり、両手の指を組むときにどちらかの手が必ず上に来るのに気づいて逆で組むように心がけ、いまではどちらが自然なのかわからなくなってしまったりするといった事例に見るように、多少周囲や自然に逆らってみたがるところがある私だが、この「すご"い"」については、生まれ育った故郷においては、周囲でこのような(学校で習う文法からすると)誤用をする者はいなかったので、前述の例に比べると逆らっているという感覚は少ない。
ことばの伝播が遅れがちだったことも事実だろうが、もしかしたら伝統を守りたがる人に囲まれていたのかもしれんと思ったりして気づいた。そもそも副詞の「すごい」という語彙がなく、皆それに相当する「ぶち(あるいはぶり、ばり、等)」を用いていたのだ。