滋賀県

4月半ば、頭髪が鬱陶しくなってきたので、というほど豊富でもないのだが、少なくとももみあげは半分から下がカールし始めて鬱陶しくなったので、散髪に出かけた。全都道府県で散髪する目標達成のため、東日本は宮城県と東京都を残すのみとなっていた(履歴→http://www.gekkan-insubunkai.net/index.php?%BB%B6%C8%B1)宮城県は松島、東京は三宅島にしようと思っていて、今回は関西にした。
関西といっても、前回京都で散髪してしまい、昨年三重で散髪したので、最寄は滋賀である。前回行きそびれた琵琶湖の沖島を第一目標とし、散髪できなければまず滋賀県内で、だめなら大阪か奈良で散髪する計画だ。ついでに鈴鹿に寄って友人と晩飯を食うことにした。
前回の散髪に続き、一人でSX4に乗って金曜夜発日曜朝帰りの予定。XTで出かけたくなるような陽気であったが、タイヤとブレーキパッドが交換時期に来ていることと、夜中に天気が崩れる予報であったことから屋根付きを選択。
金曜夜、眠かったので一眠りして出かけようとしたら、24時頃に追い出される。確かに、一眠りして目が覚めず、4時までに高速に乗れなければ、深夜割引が適用されず、数千円を無駄にすることになるので、ひとまず高速に乗ってしまうのは堅実である。
高速に乗るとすぐに眠気が襲ってくる。海老名までのSA、PAは、眠るには明るすぎるので、中井PAまで行って休憩。しっかり眠るつもりで持参した寝袋に入って、シートを倒して就寝。目が覚めたのは4時。寝る前に降り始めた雨は本降りになっていた。自宅で眠ってから出たほうが体は休まったに違いないが、寝過ごしていた可能性も高い。それにしても、疲れていることもあるだろうが、車中睡眠に慣れてきたというか、眠気に勝てなくなってきたというか、以前は車中で1時間以上続けて寝ることができなかったのだが、わりとよく眠った。
その後も何度か休憩し、その都度眠りながら、琵琶湖を目指す。途中、道路脇の茶畑で、トビでない猛禽が羽ばたいているのを目撃して喜び、停止するわけにもいかないので撮影できないことを悔しがる。
すっかり朝になって八日市ICに到着。10時頃、沖島に船が出ているという長命寺港に到着したが、どこから船が出ているかわからない。ダイヤルアップしてweb検索すると、どちらかというと沖島便は堀切港が主らしいことがわかったので移動。こちらも場所がよくわからず、一度休暇村の建物まで行って引き返したりしながら、沖島便乗り場を発見。港には白線で仕切られた駐車場が多数あったが、はおそらく島民向けのもので、一般向けの駐車場が見当たらない。仕方なく近所であれしてそれする。沖島行きの船は出たばかりで、次回は12時15分発だったので、少し市街地方面に引き返したところにあるファミリーマートでパンなどを買って食べ、またもや車中睡眠。夜明けから回復した天気はすばらしく、車中だと暑いくらいだ。
11時30分過ぎに港に引き返して、写真を撮りながら船を待つ。沖島では、島内は狭いため自家用車がないが、自家用船が一家に一隻あるということで、島への渡し船を待つ間も、その自家用船が続々出入りしている。そうすると渡し船を利用するのは誰なのかよくわからんが、自家用船が漁で出払っている場合や、免許を持たない人たちが利用するのだろう。そのほか、私のような観光客ももちろん利用する。12時15分に島から着いた船にも、観光というか釣り客らしい兄ちゃんが複数乗っていた。
島に向かう船に乗ったのはどうやらほとんどが島民で、船室内で互いに挨拶を交わす。観光客はどうやら私だけのようだった。定員は30人ほどとどこかに書いてあったような気がする。両壁際にベンチが据え付けられ、座布団が敷かれた船室で待っていると、運賃を集金される。回数券のように見受けられる紙片を集金人に渡す人もいた。片道400円。自家用船を出すと割高なのかもしれない。
船は結構な勢いで水を掻き分け、島に向かう。船室の窓は、船が水面を掻き分けて進むことによって作られる水しぶきというよりも波で洗われる。窓は開くようになっているが、開けていたら水浸しになるのは必定だ。10分足らずで島に到着。島の港にも船がたくさん。港の倉庫のような建物ではなにやら屋台様の出店がある。桜並木がちょうど満開だ。失礼ながら水が予想外にきれいだという印象を受ける。トビやカモがたくさん。ワアイ。
帰りの便は次が14時、その次が16時。散髪できるなら16時の便でも良いが、できなければ14時の便で帰って別の散髪屋を探すべきだろう。
まずは港から、倉庫の間を縫って西に向かう。港周辺はアスファルト舗装で、普通車を持ち込んでも充分走れそうな道幅だが、自動車は見当たらない。自転車、それも三輪のものが目に付く。事前に、沖島の人口は450人ほどで、小学校もあるということは調べていたのだが、おそらく集落の中心部の外れ(おかしな書き方ですが伝わりますか)に郵便局があるのを目の当たりにして、散髪屋への期待が高まる。
郵便局からさらに西に進むと、右手に畑+家屋、家屋の向こうは山、左手に低い防波堤でその向こうはすぐに琵琶湖という、幅1.5mほどの道になる。いかにも商業施設はなさそうな雰囲気だが、ひととおり歩かずに帰るのは後悔しそうなので、終点まで行ってみることにした。
一家に一隻船があるそうで、港のほかにも防波堤の外側におそらく自家用もしくは共同船着場が散見された。各家庭には畑もあるようだ。作物は詳しく見なかったが、柑橘類の果樹も多い。干してある洗濯物と、おばちゃんが着用している衣類は、沖島スタンダードなのだろうか、赤や青っぽい色を組み合わせた、細かい孔雀の羽風味の模様で、光沢のあるものが目立った。防水性か速乾性が高いと踏んだ。
途中、立派な桜が庭先にある家の大きな倉庫の前で、3,4人のおばちゃんたちがしいたけか何かを洗っている横を通り過ぎる。観光客は珍しくないのだろう、邪魔にならないように通り過ぎると、ほとんど無視してくれた。
各家屋は小さくないが、自動車がないため路地が狭く、家屋の間隔が狭い。倉庫がある家も多く、船に使用したのであろう、エンジンオイルの空き缶などが積み上げられているのが目立つ。防波堤沿いの道はしばらく続き、簡易水道施設とやらを経由し、民宿で行き止まりになっていた。民宿の自家用船着場にアオサギが止まっていた。
引き返して郵便局まで戻り、港からほど近い、公民館などもある集落の中心部へ入っていく。港から公民館までの道は車道たりうるが、その先の路地は相当狭く、自動車が通れるような代物ではない。しかし、春の晴天の日差しが差し込み、路地は明るい。公道というよりも私有地の軒先を歩いているように感じられる。人の姿もまばらで、観光客が足を踏み入れてはならないのではないかとさえ思えたが、島に滞在している間、このような狭い路地でも、私と同様の観光客何人かとすれ違ったし、島民と思しき人とすれ違ったときに「こんにちは」と挨拶すると、挨拶を返してくれることもあった。それにしても家を建てるときの重機や資材はどこからどう運び入れたのか気になる。
煙草屋、電気工事を請け負うと看板を出している店がある。資料館とやらもある。湖産物を加工して売る工場もある。自販機も複数ある。活気があふれているという感じではないが、わが故郷の旧市街に比べるとそれでも確実に人がいる。しかし、散髪屋はない。
そのまま東へと歩いていくと、やはり低い防波堤が続く。途中、消防艇が格納された立派な艇庫があった。
さらに歩くと小学校に出た。校舎は一段高いところにあるが、水面に限りなく近い校庭は湖まで続き、湖と接する部分にはフェンスや堤防などはなく、小規模な港のようになっていて、船が何隻も繋留されている。この島では、屋外で存分に球技を楽しむことができるのだろうかと余計な心配をした。湖に向かった朝礼台に上って、馬鹿および煙気分を満喫。
小学校には大小のプールもあり、大きいほうは、短辺は4レーンと狭いが、長辺はたぶん25mあった。プールはさらに高いところに位置するのだが、プールまで上る階段には、彩色されたタイルで琵琶湖が描かれ、沖島の部分は目立つようにまた別の色で着色されていた。島には小学校に隣接して保育園もあるが、中学校はなく、本土に通学するそうだ。
グラウンドの向こうにも細い道が続き、自転車に乗ったおばちゃんが校庭を横切ってそちらに向かって行った。まばらに建物や畑もあるが、散髪屋はありそうにもない。13時30分を回っていたので、島での散髪を断念し、14時の便に間に合うように、港に引き返した。港から小学校に向かってきたときは防波堤沿いを歩いたが、こんどは山側の道を歩く。山と防波堤の間には、おおむね1,2列の家屋と畑が例によって密集している。とある民家で犬が飼われていたが、人と鳥以外の動物はこの犬しか見なかったと思う。たぶん猫はいなかった。
帰り道も集落の中心部に差し掛かったとき、民家の玄関の外に「お手洗い」がサインプレート付きで設置されているのが目立つことに気づいた。最初は公共のものかと思ったが、ほとんどの建物に備わっているので、そうではないと悟った。http://www.city.omihachiman.shiga.jp/~okisyo/okisimanituite.htm に「早くから上下水道は整っていた」という記述があるが、それ以前の建物で、離れとはいかないまでも本家の外に設置したということなのだろうか。
14時ちょうどに港に戻り、渡船で堀切港に戻った。持参したハンディGPSの軌跡を見ると、沖島と堀切港をほぼ直線状に横断していた。
沖島は残念だったが、気を取り直して滋賀県内での散髪を目指す。都市部ではなく、山中や島など、できるだけ地元の人相手の散髪屋に行きたいので、地図を見渡し、次の目的地を検討。琵琶湖畔はなんとなく都会的に過ぎる。余呉湖畔には散髪屋はなかったような気がする。それに、北に向かうと隣は福井と京都であるから、いざとなったら県境越えてなんとかという作戦が使えない。鈴鹿も遠くなってしまうので、鈴鹿山脈を越える峠に向かって行き、途中の散髪屋で髪を切ることにした。散髪屋がない場合はいったん引き返し、鈴鹿方面に南下しながら次の峠に向かう
まずは来た道を引き返して八日市ICも通り過ぎ、R421を東に向かう。この道は県境の石榑峠に続く。この峠は10年近く前にバイクで東から越えたことがあるが、峠の前後は大変狭く、2t以上の車が通過できないようにコンクリートブロックが設置されている。三重県側はアスファルトでなくコンクリート舗装だ。というわけで峠までいくと集落など存在しないので、散髪屋もあるはずがない。地図で見て、その手前にある集落をしらみつぶしに訪れる。集落によっては数十軒あって、郵便局や消防署、学校らしきものがあることもあったが、散髪屋はない。廃業済みと思われる「パーマの店」という手書き看板はあった。
県道と農道をつないで南下し、R477(旧鈴鹿スカイライン有料道路)に向かう。こちらも集落を片っ端からあたるが、散髪屋がない。スカイライン自体は工事で通行止め。当初は鈴鹿スカイライン入り口のかもしか温泉で入浴しようと思っていたが、時間が厳しくなってきたので回避。
さらに南下した鮎河の集落には、郵便局、農協、ガソリンスタンド、小学校まであるのだが、やはり散髪屋が見当たらない。
これまで、これだけいろいろあたると、散髪屋はいくつかは見つかって、それでもせっかく出かけてきのに小奇麗すぎて散髪する気になれず、次へ次へと進んでいるうちに時間が厳しくなって困るということはあった。茨城県では、散髪屋をえり好みしたために時間切れという愚行を3度繰り返し、4度目にしてついに散髪を達成したのである。しかし、今回は沖島から鈴鹿峠まで、とにかく散髪屋が一件も見当たらないのだ。まさに散髪屋不毛の地である。山中を縦断するような道を走っているが、少し西に行けば市街地に出るので、このあたりの集落の人が散髪するときは皆市街地に出てしまうのだろうと想像。
改めて地図を眺めると、奈良や大阪はずいぶん遠い。なんとか滋賀県内で散髪しなくてはならん。
県道507号を経由して、ついにR1、土山まで出てしまう。まずは鈴鹿峠まで行ってみるが、散髪屋はなし。峠は上下線が完全に分離されているが、途中で方向転換できる道があるのでここで引き返す。それにしてもSX4は峠の下りが楽しいね。
再度峠を越えて土山方面に下る。もう時間がないので、どんどん市街地方面に行って、最初に見つけた散髪屋に入る覚悟だ。道の駅の裏手から「旧東海道の町並みが残る」とされる道に入る。狭い道だが、なんとか車がすれ違えるくらいの幅はあり、交通量もそこそこ。家の前に路上駐車して洗車している人もいた。
しばらく進んで、ついに散髪屋を発見したが、どうやら閉店。時刻は18時で、焦燥感をおぼえる。もし今日散髪できなんだら車中泊で翌日出直しか、めんどくせえなあという考えが浮かぶ。そのまま西進すると、こんどはくるくる棒稼動中の散髪屋を発見。ちょっと小奇麗過ぎたのでもう少し進むともう一件。こちらのほうがたたずまいは好みだったが、店内の明かりはついているもののくるくる棒が止まっており、閉店準備中と見えた。
くるくる棒稼動中の散髪屋まで引き返して店の前に車を止め、入店。してみると、待合スペースがずいぶんにぎやかな有様だ。初老のおっちゃんおばちゃんが5,6名着席して、茶菓子が盛られたテーブルを囲み、なにやら盛り上がっている。店主らしきおっちゃんに向かって「お願いできますか」と言うと、怪訝な表情をされたので「散髪お願いできますか」と言い直したところ、「今忙しくてね、申し訳ない」と言われた。まあ忙しそうなのは間違いないのだが、本業で忙しいというわけではなさそうだったのでやや立腹。
退出し、別の散髪屋を探すため、旧東海道を下る。さきほど見つけた閉店準備中の散髪屋は完全閉店。別の店を探さなくてはならない。さらに先に進むと、旧東海道の町並みは終わり、R1に合流した。こうなったらもう店構えや立地などといった贅沢は言っていられない。なんでも良いので散髪するしかない。
R1をしばらく下ると、交差点左手にくるくる棒発見、即決。散髪屋の名前は「なかむら」で、50代くらいのおっちゃんが店主だった。R1沿いではあるが、それほど街中というわけではない。散髪台は2つあったが、客は自分一人で、状況としてはまずます。今回はわりとたっぷり休憩しながらここまで来たので、散髪中に眠ってしまうこともなく、適度な会話ができた。近くのダムの桜が満開で、ちょうどこの日までライトアップされていて見事なので、帰りがけに寄っていくように薦められた。散髪の仕上がりはちょっと根岸(クラウザーさん)っぽく感じたが、後に洗髪すると、いつもと変わらないようだ。
ダムを経由して桜を見て、再度鈴鹿峠を越えて鈴鹿市入り。鈴鹿在住の旧友と飯を食って旧交を温める。とはいっても正月に会ったばかりなので大した話はない。日付が変わる前に解散。
伊勢湾岸道→東名で帰宅。途中5回くらい休憩。寄る年波には勝てない。それでも、出発前に確かに聞いた在宅の人の要求に応えるため、ある程度急いで、まだ朝といえる時間に帰宅したのだが、別に帰ってこなくてもよかったようなことを言われた。